第十九章 ファイナルアンサー
元婚約者現る-1
「美葉さん、お客さんが来てはりますよ。」
カフェコーナーのアルバイト店員が内線電話でそう伝えてきたのは、5時を少し過ぎた頃だった。今日も涼真に呼ばれていたので、そろそろ退社してスーパーに向かおうと思っていたところだ。
カフェコーナーに呼び出す客など、心当たりがなかった。仕事関係の人ならば、オフィスに直接訪ねてくるはずだ。怪訝に思いながら階段を降りると、テーブル席に若い女性が座っていた。美葉の姿を見付けると、立ち上がり頭を下げる。胸元にリボンをあしらったクリーム色のワンピースを着ている。物腰は柔らかく品があるが、視線は何故か鋭かった。
向かい合って座った美葉に、女性はもう一度頭を下げた。
「初めまして。甲本華純と申します。」
強ばった声音でそう告げてから、すーっと息を吸った。
「涼真さんと、婚約していました。」
その言葉に、美葉は口を開けたまま言葉を失う。涼真に彼女が山のようにいたことは知っている。だが、結婚の約束をした人がいたとは聞いていない。しかも、彼女はとても若いように見える。自分よりも、年下なのではないだろうか。
「甲本建設を、存じてはりますよね。」
強ばったままの声に、美葉は首肯した。甲本建設は木寿屋が懇意にしている大手建設会社だ。ゼンノーとは歴史的に深い繋がりがあるが、会社としての規模は桁が違う。先代の社長と繋がりが深く、その関係から木寿屋を使って貰っていると聞いたことがある。
「私は甲本建設の社長の娘です。……涼真さんが、あなたと結婚するために私との婚約を破棄したことで、父が怒り木寿屋と距離をとることにしたのは、ご存じでしたか?」
美葉は頭を振った。美葉が請け負うのはリフォーム物件が多く、依頼は個人か小さな企業のオーナーだ。甲本建設とのやり取りは、本社の人間でなければ分からない。
「あなたがしゃしゃり出てきたことで、会社に迷惑が掛かっているって自覚、ありますの?」
「ない、です。」
知らなかったことを自覚は出来ないだろう。余りの出来事に頭が付いていかない。そのお陰で頭は冷静さを保っている。美葉は怒りに顔を赤くしている令嬢を見つめた。つぶらな瞳に純朴そうな光を宿した、気品のある女性だ。だが、涼真が相手にしてきた女性達に比べると、随分子供っぽいような気がする。
「失礼ながら、あなたのことは調べさせて頂きました。」
「……はあ。」
美葉は身体を小さく丸めた。どこをどう調べても、自分が涼真と釣り合うものを持っていないのは既に分かっている。
「シンデレラを夢見たのかも知れませんけど、釣り合わへん人間が身の丈以上のものを手にしようとしたら、周りが迷惑するんです。」
「シンデレラ……?」
美葉は、首を傾げた。シンデレラの物語を頭の中で反芻する。
佳音は、その絵本好きだったな。
思わず空を見つめる。残念ながら、自分は感情移入できなかった。相手が王子様だろうが何だろうが、一回踊っただけの人と結婚なんて。大体、相手が貧乏人だったら相手にしない癖に、一国の王子様だったら尻尾振って付いていくのかよ。シンデレラって単純な。くらいに思っていた。
そんなことを考えていたら、頭が正常運転を取り戻した。胸に湧いて来る嫌悪感とは裏腹に、頭の芯がすっと冷める。居住まいを正し華純という、上品を擬人化したようなお嬢様を見つめた。
「涼真さんとご婚約されていたって聞きましたが、それって何時のことですか?」
華純は鼻の頭に皺を寄せ、不快な表情を露わにした。
「4月にお見合いをして、そのすぐ後です。そやけど、すっと前から親同士では結婚の約束を交わしておりました。」
美葉は思わず天井を見た。美葉が退社する日が迫る頃だ。涼真は自分を諦めて別の人と結婚する決意を固めていたのだろうか。
「で、いつご婚約を解消されたのですか?」
「7月28日、です。」
「ん!?」
美葉は眉間に皺を寄せ、華純を凝視した。
「私にプロポーズした、翌日じゃん、それ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます