心を守る-2
チンゲン菜の炒め物とだし巻き玉子。芋団子とシジミの味噌汁。金目鯛の煮付けをよけたら随分質素な食事になってしまった。
「芋団子や。懐かしいな。」
涼真が嬉しそうに手を合わせる。後ろめたい表情を隠そうと笑顔を作るが、引きつってしまいそうだ。
「お魚を焦がしちゃって。あり合わせで作ったから節約料理みたいになっちゃった。ごめんなさい。」
「ええよ、たまには。芋団子なんて何年ぶりやろう。」
ふかしたじゃがいもを潰し片栗粉を混ぜた団子は、北海道の郷土料理だ。いつもは手の平くらいの大きさに作るのだが、今日は都合上一口サイズにした。涼真は嬉しそうにその一つを口に入れた。
「うわ!」
途端に口を押さえて仰け反る。美葉はその姿をすました顔で眺めた。良家のお坊ちゃんは口から吐き出すような無作法なことはせず、手元の麦茶で流し込み「ヒー」と喉から悲鳴を上げた。和辛子がたっぷり入った芋団子は口も喉も焼いたはずだ。
「おしおきです。」
美葉は努めて冷静にそう告げた。涼真は怒りを滲ませた顔で首を傾ける。
「今日、カフェに華純さんと名乗る女性がいらっしゃいました。涼真さん、ご存じの方ですよね?」
「あ、え、えっと……。」
涼真の顔がみるみる青ざめていく。美葉はすっと目を細めた。
「4月にお見合いをして、結婚前提にお付き合いしていたとか。私にプロポーズした翌日まで。」
涼真の口が小さく開閉を繰り返す。額から一筋汗が流れた。和辛子のせいだけではなさそうだ。美葉は黙って涼真を見つめ、言葉を待つ。涼真はグラスに手を伸ばしたが中身は空だ。一瞬向けられた視線を無視すると、涼真はそそくさと冷蔵庫へ向かい、グラスを満たして一気に飲み干した。
その気配を背中に感じながら、戻るのを待つ。少し間を置いて、諦めたようにすごすごと涼真が戻ってきた。
「ごめんなさい。」
涼真はテーブルに付くかと思うほど頭を下げた。その素直な行動に、もわりと胸に暗雲が立ちこめる。
「美葉が当別に帰ることが確定になって、諦めて見合いをしたんや。相手は大事な取引先の娘さんやから、無下にできへん。どうするか悩んでいる内にずるずると時間が経ってしもうて。」
嘘だろう。素直に下げている頭も、演技だろう。
急に悲しくなり、泣き出しそうになった。嘘だと感じてしまう自分が嫌だった。素直に信じて騙された方がきっと幸せなのだろう。だが、一緒に過ごす時間の中で涼真という人物を知りすぎてしまった。
――知ろうと努力しすぎてしまった。
涙を飲み込み、大きく息を吸って吐く。
「嘘は、嫌なの。」
何とか冷静な声を、唇の外側に押し出す。一言目が上手く行き、安堵した。
「涼真さんと一緒に生きていく上で、我慢しなければいけないことが沢山ある。それは、分かってる。自分の常識でははかりきれないことだって、あると思う。でも、私にだってどうしても嫌なことがある。それを我慢したら、自分が自分でなくなるの。」
涼真が顔を上げた。不思議なものを見るような視線だ。真摯に向き合おうとするものではない。その瞳をのぞき込み、誠実さのかけらを見付けようとした。徒労に終わることは分かっていたが、どこかにはあると信じたかった。
「嘘をつかれるのは、嫌です。これからずっと一緒にいて、支え合っていくのなら、信頼しあえないと無理でしょう?それなら、お互いの間に嘘があったら駄目だと思うの。」
涼真は静かに目を閉じて頷いた。
「……美葉の言うとおりや。本当に、今回のことは悪かった。もう、美葉に嘘はつかへん。」
開いた瞳が真っ直ぐに美葉を捉える。そこにはどんな感情も浮んでいない。表情は悲嘆に暮れ、許しを請うているように見えるのに、瞳だけは凪いだ水面のように静かだった。
美葉は唇を結び、視線を逸らす。母がお仕置きの団子を作った日は、お腹がよじれるほど笑い転げた。今は、胸が焼けるように痛い。
「分かった。今回だけは、許す。」
芋団子を見つめたまま、言葉を吐き出す。
「涼真さんを信じて、付いていく。」
恐る恐る見上げた顔が、ぐにゃりと歪んだ。堪えきれなかった涙のせいだった。慌てて手の甲でぬぐい、鼻を啜ってから改めて涼真を見る。涼真は少し狼狽えているように見えた。
「それで、いいでしょう?」
「ええよ……。」
頷いた涼真は小さく唇の端を持ち上げていた。
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