背徳の誓言
「やはり、ここのお肉は別格やわ。素敵なお店に連れて来てくださってありがとう、涼真さん。」
涼真はワイングラスを純白のテーブルクロスに置き、首を横に振る。
「先日はご連絡頂いたのにすぐにお返事できませんでしたから、そのお詫びに。」
「あら、そんなんで三つ星レストランに連れて来て下さるんやったら、わざと忙しい時間に連絡しようかしら。」
華純はシェリーメタリックに彩られた唇をつり上げる。二十二歳を過ぎたばかりの女に、深みのある深紅は正直似合わない。ひどく背伸びをしているように見えて却って滑稽だ。
口紅とよく似た色のワインを口にする仕草も、テーブルマナーもカクチュールドレスも、洗練されてはいるが子供が背伸びをしているようにしか見えない。4月に見合いを経て正式に付き合うようになったが、幼少時代を知っているこの女性を恋愛対象とするには少し無理があった。
だが、会社の将来を考えるとこの縁談を成就させるべきなのだと理解している。華純は大手建築会社の社長令嬢だ。亡き父と華純の父との間で密かに縁談が仕組まれているのを知ったのは、涼真が京都に戻り会社を継いだ時だった。抗うように父が納得するような女を捜したが、どの女も似たようなものに感じ、恋愛をするのが面倒になった。結局女遊びは、華純が大学を卒業するまでの時間潰しと割り切ることにした。
ピアノの生演奏に耳を傾けながら、特別な美貌を持つわけではないが品の良い令嬢に微笑みを返す。華純はこの春大学を卒業し、すぐに涼真と結婚する手はずとなっている。
ウエイターが音も立てずに現われて食器を片付けていく。確かに上質なヒレ肉だったが、どこか満たされないものが残る。
演奏曲が変わった。軽やかなワルツから一転してハ長調の旋律が流れる。ベートーベンのピアノソナタだ。複雑で緊張感を含む旋律が空気を震わせる。
華純はワインをゆっくりと口に含んだ。グラスを下げて露わになった口元が緊張したようにぐにゃりと歪んだ。
「先週ご一緒だったのは、女の方でしょう?」
華純は上目遣いに涼真を見た。幼女のような瞳に冷たい光が浮ぶ。涼真は驚いた振りをして、グラスを持つ手をテーブルに置いて見せた。
「別に隠さへんでも。浮気するのは男の甲斐性やから寛容にならねばと父に言われています。私としても、女に相手にして貰われへんような男性が夫になるより、少し焼き餅焼くくらいの方が自慢の種になってええんです。」
下手な役者のような口調で華純はそう言い、余裕の笑みらしきものを浮かべる。
華純と結婚する一番のメリットがこれだと、涼真は内心ほくそ笑む。
涼真の父は、憚ることなく女遊びをする男だった。そうすることが、甲斐性の証だと言わんばかりに。母親は不気味なほど冷静に夫の浮気を受け入れてきた。恐らくあの人には、人らしい感情がないのだろう。
父の盟友だという華純の父親も、同じような価値観らしい。箱入り娘の頭には男が浮気をするのは当然だと刷り込まれている。この女なら、美葉の存在も難なく受け入れるだろう。
「ちょっと、悪戯心が湧いてしまったんです。でも、僕にとって華純さんが一番大切な人です。それは、信じてくださいね。」
ばつが悪そうな顔を作り、頭を下げる。
「神に誓って?」
「ええ、神に誓って。」
背徳の誓言に、華純は満足そうな笑顔を見せた。
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