肩透かし

 秘書が淹れた珈琲を一口含み、眼下に流れる桂川を眺める。昨夜の展開を思い返し、口の端を持ち上げる。


 「肩透かし、やな。」


 思わず呟いた。


 難攻不落だと思っていたが、案外あっさりと手中に収めることが出来た。珈琲に映る顔は、こんな獲物ではまだ足りないと不満を洩らす肉食獣のようだ。


 あれだけ正攻法で迫って見向きもしなかったのに、少し弱い男を演じただけで簡単に心を許した。やはり、彼女は変わった女だ。


 ルックスが良い老舗の会社社長が、自分を特別扱いしてくれるとなれば、靡かない女などいないはずだった。しかし、谷口美葉はそんなものには全く興味を示さない。彼女の心には常に、頼りない家具職人がいた。


 あの家具職人のどこに惹かれているのかを分析して、戦略の間違いに気付いた。


 彼女は庇護欲をかき立てられる男が好きなのだ。男に守って貰おうなど、微塵にも思っていない。ましてや白馬の王子に委ねる人生など、彼女の概念に存在しないのだ。愛した相手の才能を生かすために自分が盾となり、先頭に立って人生を切り開いていく。そういう女性だ。


だが自分で生きる力のない男に尽くしても、彼女自身は報われない。折角の輝きが疲弊して失われてしまうのが落ちだ。


 彼女が輝く為のステージを与えることが出来るのは、自分だけだと自負している。それなのに、「与えられる」という事に彼女は興味を示さない。


 だから少し、憂いを見せた。


 見せたものは紛い物では無い。


社長という人格となるために不必要なものは捨て、型にはまるように矯正された。宿命なのだから仕方あるまい。唯一得た自由な時間も、元々期限付きだと割り切っていたものだ。未練など無い。


 だが見せ方によっては、不憫で哀しいものに見えるだろう。彼女がそう捉えるように、振る舞った。


 案の定彼女の琴線に触れ、庇護欲を掻き立てることが出来た。彼女は自分の事を、「愛情を注がなければならない寂しい男」と捉えただろう。


 彼女が自分をどう捉えていようが、たいした問題では無い。このゲームは勝ちを収めた。


 「さあ、これからどうするか。」

 

 手中に収めたのはいいが、彼女を伴侶とするのは、会社として得策ではない。会社のメリットとなるような後ろ盾のない女と結婚したら、自分の娘を差しだそうとしている経営者の顔を潰すことになる。


 だが、彼女の才能と有能なDNAは、これまでの女達のように遊んで手放すのは惜しい。できれば生涯手元に置いて、社長となるべき人物の後ろ盾となる子を産み育てて欲しい。


 彼女が自らその道を選ぶようなシナリオを描く。次に利用するのは、分析力と使命感の強さだ。


 涼真は唇の端を持ち上げ、珈琲を啜った。


 フレンチローストの苦みが、舌に広がる。

 

 

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