命の町の住人

 形容しがたい想いを胸に溢れさせたまま悠人が農場に戻ると、納屋で保志が待っていた。最近あまり本業に精を出していないように見えて心配だ。まあ、元々自分の食い扶持さえまかなえたらいいと思っているようなところがあったが。保志は悠人を見付けると、くわえ煙草を地面に落とし、踏みつけた。


 「毎度!」

 戯けた顔で手を上げる。悠人も右手を挙げて応じた。


 「やっさん、今ね、正人と喧嘩してきたさ。」


 保志の顔を見たら、思わず口を滑らせていた。保志は一瞬きょとんとし、暫くして破顔した。


 「喧嘩か。殴り合いした割には綺麗な顔してるやないか。」

 「殴り合いなんてしないさ。やっさんと一緒にしないでよ。口喧嘩だよ。……で、仲直りしてやっと親友にして貰えたさ。」

 「なんや、それ。長年の恋心を実らせた乙女みたいに。」


 似たようなものかも知れない。そう思ったが、冷やかされるだけだと思い、笑って誤魔化す。保志の顔に一瞬、今まで見たことがないほど柔らかな笑みが浮んだ。しかしそれは本当に一瞬で、すぐにニヒルな笑みにすり替わる。


 「それはそうと、町についての相談やけどな。このままぼうっと置いといてもらちがあかんしな、分譲地と商業地から開発を始めようと思うねん。シュラスコビュッフェの新風じんふぁとアンテナショップに競合せぇへん、地産地消の店。新店舗出したいと思ってるような知り合いおらんか?」

 「そっか。もう動き出すんだ。……美葉に町のデザイン設計を頼むのは、諦めたのかい?」

 「嫌、まだ諦めてはおらん。結婚するまでまだ時間はある。その内直接頭冷やせと言いに行くつもりや。そやから、いざデザインを組むときに邪魔にならんところから開発を始めるんや。」


 命の町。そこに保志が何か特別な想いを託しているとは気付いている。その想いをくみ取って具象化できるのは美葉しかいないような気がする。ここ暫く開発を棚上げしていたのは、正人の元に美葉が戻るのを待っているからだろうと思っていた。


 美葉が京都の社長と結婚すると聞いても、誰も心から祝福できずにいる。未だに、正人の元に戻ってきて欲しいと願ってしまうのだ。


 「やっさん、美葉の目を覚まさせてやって。あの二人は、絶対に一緒にいるべきさ。俺は正人に、美葉とちゃんと向き合うように説得を続ける。」


 保志はにやりと笑った。


 「頼むで、親友。……あと、誘致の件もな。」

 商売の話を忘れないところが、保志らしい。


 「それこそ、錬が店を出せばいいんだ。薪釜のパン屋を当別に開きたいって、ずっと言ってる。店舗兼住宅を建てて、二人でこっちに住めばいい。佳音も子育てしながら仕事するなら、波子さんが傍にいた方がきっと助かるさ。」

 悠人の言葉に、保志は首肯する。

 「それは、ええ案やな。佳音にそれとなく勧めといてや。」


 悠人は頷き、保志が傍らに置いていた設計図をひろげた。町の中央部に新風とアンテナショップがあるだけの、がらんとした場所だが、防風林に沿うように分譲予定地と書かれた囲みがある。


 ふと、悠人の心が動いた。


 黄緑色のトラックが、母屋の手前で止まる。間髪開けずに千紗が表に出てきて、ドライバーに小さな包みを渡していた。アクセサリーの配送だろう。千紗のアクセサリーショップはそこそこ人気があり、その収入は扶養の範囲を疾うに超えている。

 トラックが走り去るのを見届けて、悠人は千紗に駆け寄った。正面に立つと、今思いついた事が溢れて言葉になった。


 「千紗、家を建てよう!」


 至近距離で見上げる千紗の目が、大きく見開かれる。

 「やっさんの町の一番最初の住人になろう!アクセサリーショップの店舗兼住宅さ!桃花がアレルギーを起こさないように、自然素材で出耒た家。部屋に籠もらなくてもいいように、家中電磁波対策してさ!小さくてもいいから、俺ら家族だけの城を、建てよう!」


 千紗の瞳が揺れ、きつく結ばれた口元が歪む。素直に喜びを表現できない千紗の、最大限の喜びの表情だ。悠人は思わず笑い、千紗の身体を抱き上げた。驚いたように悲鳴を上げる千紗の腕が、悠人の頭を抱きしめた。

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