喧嘩-4

「悠人さんには、分からない。」


 切れ長の瞳を真っ赤に染めて、正人はそう言った。声が、揺れている。揺らしているのは、きっと怒りだ。


 「悠人さんは、普通の人だ。僕は違う。僕はおかしな人間だ。ずっとずっと、そうだった。


 皆が普通に出来ることが、僕には出来ない。時間通りに行動することも、計画を立てて実行することも、筋道を立てて考えることも、僕には出来ないんだ。


 僕の頭はすぐに何かで一杯になり、やるべき事を忘れてしまう。時間軸はすぐにずれて、一日が24時間では無くなってしまう。その内自分がどこで何をするべきなのか分からなくなってしまうんだ。


 ……それでも、樹々を続けていかなきゃいけないんだ!その為には、少しの乱れも許してはいけないんだよ!……離せっ!」

 身を捩るように、腕を振りほどこうとする。

 「離さない!絶対に離さない!」

 叫びながら全身の力で正人の腕にしがみつく。冷静であろうとした心は呆気なく溢れた感情に飲み込まれた。正人の顔が、涙で歪む。自らの存在を否定するような言葉に衝撃を受け、鼓動が早まる。


 何をすべきかすぐに見失い、いつの間にか人と違う時間軸の中にいて、何をすべきか見付けられず彷徨ってしまう。


 当たり前にある「今ここにある自分」を見失う恐怖を抱えて生きる。その不安を、孤独を、誰とも分かち合わずに生きてきたのだ。正人は。そう思うと喉が締まるほど苦しくなり、肩で息をする。


 もうこれ以上、孤独に身を置いて欲しくない。気づけば全身から振り絞るような声をだしていた。


 「正人が人と違う事は知ってる!でも違ってていいんだ!正人がそのせいで苦しんでいるならその苦しみを理解したいよ!多分、全部は理解できないけど、正人が苦しいなら一緒に苦しんだっていい!俺だけじゃ無い、健太も、波子さんも、陽汰も、佳音も!正人の周りにいる人は、みんな正人の事を分かろうと思ってるさ!正人が苦しんでいるなら、何時だって一緒に悩んで、苦しんで、その思いを何等分にでもして分かち合いたいと思っているよ!……何でだか、分かるか!?」


 どんなに愛を向けても、正人はそれを受け取ってくれない。歯がゆくて、歯がゆくて仕方がない。


 正人は口を真一文字に結んだまま充血した視線を向けた。悠人はそれを正面から受け止める。


 「みんな、みんな正人が好きだからだよ。みんな正人と一緒にいたいんだ。だから、正人が困っていたら、助ける。みんなで、助ける。」


 正人の唇が、小さく震えた。その両手を掴んで大きく揺さぶる。


 「だから、手を伸ばせよ!困ったら、困ったって、手を伸ばせ!自分は皆のことを底抜けに受け止める癖に、俺らの愛を受け止めないのは不公平だ!皆が正人の事を愛して、守ろうとしてるんだ!正人がそれを受け止めてくれないと、俺らは悲しいんだぞ!分かってるのかよ!」


 正人の唇から、小さなうめき声が聞こえた。それは、少しずつ大きくなり、やがて子供のような泣き声に変わる。悠人は上下に揺れる肩を抱き寄せた。


 「時間がずれたら、俺が戻してやるよ。今何やらなきゃいけないのか分かんなくなったら一緒に考えるよ。だからさ、俺らとの時間を、ちゃんと作ってよ。」


 「うん。……うん。」


 鼻を啜る音に混じって、正人の頷く声が聞こえた。


 「仲間なんだよ、俺らはさ。仲間は時々、馬鹿みたいに酒飲んで騒がないといけないのさ。」


 正人の頬が、小さく震えた。


 「すいません、僕は……。」

 「謝んなよ。」


 正人の言葉に、悠人は自分の言葉を被せた。


 「正人が苦しんでたこと、ちゃんと気付けなかった。こんなに長く一緒にいたのに。本当に、ごめんな。」


 正人が無条件に受け止めてくれる。その事に甘えていたような気がした。正人の額が小さく左右に揺れた。


 「僕が、伝えなかったんです。困ったら誰かに助けを求めるって発想が、そもそもなかったので……。」


 こんなに沢山の人が正人に救いを求めてここを訪れているのに、正人本人が人を頼ることを知らなかった。工房が立ちゆかなくなった時も、美葉と別れて一人で続けていく決意をしてからも、正人は一人で戦い続けていた。そう思うと、切なくなる。


 「助けるさ。俺らみんな、正人が困ってたら喜んで助ける。」

 「はい……。」


 正人は頷き、小さな嗚咽を漏らした。


 大きく肩を揺らして何度か息をついてから、正人が顔を上げる。その顔に、照れくさそうな笑みが浮ぶ。涙と鼻水でびしょ濡れだ。


 「……僕は、生まれて初めて人と喧嘩をして、仲直りをしました。」

 鼻を啜りながら、正人が言う。悠人は思わず笑った。


 「喧嘩をした相手とは、親友になるんだぞ。今から俺としゃべるときは、敬語は禁止!」

 「え、でも……。」

 「名前も呼び捨て!」

 「……うう、は、はい……。」

 「ハイじゃ無くて!」

 「わ、分かったよ……。悠人……。」


 正人がボソボソと悠人の名を呼んだ。その耳が、赤く染まっている。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る