自分を赦す
「そうか……。教えてくれてありがとうな。」
電波の悪い納屋から辛うじて通話が繋がる場所へ移動した保志は、相手とのやり取りを終え複雑な溜息をついた。
その時だった。
ガン、ガンと空気を切り裂くような金属音が耳に飛び込んできた。音の方に目をこらすと、道路の標識にアキが草払い機を叩き付けているのが見えた。
「何をやっとる……?」
呟いたその脇を、小さな影が通り過ぎる。すぐに全力疾走の陽汰だと分かった。陽汰が向かう先にはどってりと腹を前方に突き出した男と、地面に座りこんでいる佳音が見えた。保志はすぐに事態を飲み込み、振り返る。
「走れ!奴が来た!」
そう叫び、自分も走り出す。その横を健太が駆け抜けていき、悠人と正人が続いていく。中年の保志は若者達に追い抜かされて行った。
草払い機を抱えたアキが土手を滑り降りていく。尻餅をついたアキに真田が馬乗りになった。
陽汰が地面を蹴った。
小さな身体が弾丸のように弧を描き、足先が男の背に刺さる。その勢いで、達磨が転がるようにうつ伏せに地面に押し付けられる。アキは下敷きになったが、すぐに這い出して佳音の横に駆け寄ると背に庇った。
「うわああああああぁぁぁ!!!」
正人が声を上げながら男に向かっていく。何が起ったのか飲み込めない様子で仰向けに身体を返した真田に馬乗りになり、拳を振り上げた。正人の顔が真っ赤に染まっている。この状態では手加減はできないだろう。全力で殴りつけでもしたら、正人が加害者になりかねない。保志は何とかそれを振り下ろす前に捕まえることが出来た。
「離せ!」
正人が身体を捩り、腕を自由にしようともがく。
「こいつはっ!僕の子供を殺して大事な人を傷つけたんだ!離せ!」
「阿呆か!殴ったらお前もこいつと同類や!」
一喝すると、正人の手から力が抜けた。
はっはっと小刻みに息を吐く。次第にその身体が、ガクガクと震え出した。保志は自失状態の正人をとりあえずどかせてから男をうつ伏せにし、腕を捻りあげる。男はうなり声を上げた。
「悠人!」
肩で息をしている悠人に声を掛ける。保志は悠人の横を顎で示す。
「健太から、その物騒なやつ取り上げてくれ。」
アキの隣に立つ健太は、草払い機を構えていた。その顔は殺気立ち、正気を失ったように一点を見つめていた。健太の異変に気付いた悠人は、慌てて草払い機を奪い取った。
「お前、何しとる。それで首でも跳ねるつもりか。そんな事したら、アキと猛を守れんようになるやろ。」
「あ……。」
健太は自分の両手に視線を落とし、身体を震わせた。陽汰はすでに110番通報をしている。
「……やっぱりそうだ……。」
正人ががっくりと膝をつく。
「怒りにまかせて人を傷つけてしまううところ、父親とそっくりだ……。」
ワナワナと震える正人に、保志は声を張る。
「お前だけと違うで。健太もや。褒められたことと違うけどな、人間誰もカッとなることはある。そやけど自分を抑えることが出来るようにならなあかん。それは、これからのお前の課題やな。」
「はい……。」
がっくりと項垂れる。
「そやけど、お前のそんなあかんところ全部、美葉にとっては織り込み済みや。心配すんな。暴走しそうになったら、止めてくれる奴らがこれだけおるんやし。もういい加減、駄目な自分を許したれや。結局のところ、自分を許してやれるのは、自分しかおらんのやから。」
保志は片腕を伸ばし、握りこぶしで正人の腹を軽く殴った。
「さっき、最新情報が入ったで。……美葉と涼真が別れたそうや。」
え、と全員の視線が保志に集中する。
「涼真からの伝言や。『冴えない家具職人さん、たまには格好付けて迎えに来てあげたらどうですか?』やて。むかつくやろ、あいつ。……どうする?正人。」
正人は勢いよく立ち上がる。
「行きます!美葉さんを迎えに行きます!」
そう言って、一目散に走り出す。このまま走って新千歳空港に向かってしまうのではないかと不安に駆られる。
「財布とスマホは持って行けよ!」
悠人が正人の背に叫ぶ。
「ハイ!」
振り返らず、正人は後ろ手に大きく手を振った。まるで小学生のように全力疾走で走る正人に驚いて、
――結局のところ、自分を赦してやれるのは、自分しかおらんのやから。
自分の放った言葉は、固く閉ざしていた心にほんの少し風を吹かせた。思いがけない感覚に保志は一瞬唇を歪め、遙か向こうの防風林まで続く田んぼに視線を向けた。
一陣の風が、青田を波のように揺らして行く。
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