無理をしていたんだ

 山の家は林を背に建っており、伸びきった雑草に覆われていた。雑草の生育が、主が頻回に来なくなったことを物語っている。


 水色のドアを開けると、玄関の上がりがまちに三角座りの猛がいた。母親の顔を見るとぱっと顔を輝かせたが、瞬時にそれは泣き顔に代わり、膝に沈み込む。アキが駆け寄り抱きしめる。もどかしそうに脱ぎ捨てられた靴がタイルの上に転がった。


 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」


 泣き声に猛の声が混ざる。狼狽えた表情のアキが腕に力を込めた。


 「謝る必要ないでしょ。」


 廊下の向こうから腕を組んだ桃花が歩いてきて猛の横に立つ。猛は無言で首を横に振った。桃花は呆れたように溜息をついた。


 「言ってやりなさいよ。自分はどこにも行きたくない、勝手に決めてほしくないって。」


 大人びた口調でそう言ってじろりとアキを睨む。居間の襖からのえると陽汰が顔を覗かせている。のえるが二人を応援するように握りこぶしを振っている。ややこしい人だなと、健太は片眉を上げてのえるに一瞥を送った。


 桃花が「しょうが無いなぁ。」と肩をすくめた。


 「猛は、ずっと無理してたんだよ。知ってる?」

 「無理……?」

 切れ長の瞳を見開いて、アキは桃花に視線を向ける。


 「あんたさ、猛をすてようとしたじゃん、一回。それで猛はすごくきず付いたんだよ。」


 睨みをきかせた視線を斜め上のアキに向けて、桃花は続ける。


 「自分がお母さんを守れなかったからだって、猛は思ってるんだよ。悪い子だからかも知れないって、不安に思っているんだよ。もう二度とすてられないように、一生けん命良い子になろうとしてるんだよ。……今日だって、思わず飛び出してきちゃったけど、こんなことしたらお母さんにすてられるってずっと不安だったんだから。」


 アキの顔がクシャリと歪む。眉を寄せて、猛の顔をのぞき込んだ。猛はその視線を避けて顔を床に向ける。その真下に、ぽつりぽつりと滴が落ちた。


 「猛は、どこにも行きたくないの。猛の気持ちをムシして、どっか行くなんて言わないでよ。ひどいよ。」


 桃花の声も揺れ、力なく視線を落とす。猛にどこかへ行かれて困るのは、桃花も同じらしかった。


 アキが小さく震えながら頷いた。


 「ごめんね……。猛の気持ちも、桃花ちゃんの気持ちも考えてなかった。ごめんなさい。」


 桃花に向かってそう言ってから、猛の頭にそっと手を置いた。


 「猛、ごめんね。お母さん、猛に酷い事しちゃったね。……猛の事、捨てようとしたんじゃ無いの。猛が一番大事なの。もう絶対に猛と離れないし、どこにも行かない。安心して。」


 母の顔に向けた瞳が揺れて、大粒の涙がぼろぼろ溢れ、ふっくらとした頬を流れる。


 『それは本当だな。』


 ボイスチェンジャーを通した男の声が聞こえた。スマートフォンを手にしているのえるを陽汰がしかめ面で睨む。緊張していた空気がふっと緩む。場を和ませてやったと得意げな視線をのえるが下に送ると、受け取った陽汰はムッと唇を尖らせた。


 多少の難はあるが緩んだ空気に便乗し、健太は出来るだけ大きな笑い声を上げ、アキの隣に膝を付いた。アキは猛の頭から手を離し、健太に猛から一番近い場所をゆずる。

 泣き顔の猛を正面から見つめる。


 「お母さんは、猛を一生懸命守ろうとしたんだ。でも、一人じゃ守り切れなくなったんだ。だから、正人に助けを求めた。猛を捨てようとした訳じゃ無いんだぜ。」


 猛の頭に、手を乗せた。大きな手が頭を覆うと、猛が問いかけるように健太を見上げた。健太はそれに笑みを返す。


 「猛、今まで一生懸命お母さんを守って、偉かったな。お前は名前の通り、勇ましくて強い子だ。……なぁ、これからは、俺も一緒にお母さんを守っていいかい?」


 猛は小さく首を傾けた。


 「猛のことも、俺が守りたいんだ。もう、無理しなくて良いように。」

 勇敢な少年に敬意を払いつつ、その瞳を見つめた。


 「俺、猛の父ちゃんになってもいいかい?」


 猛の瞳が大きく見開かれる。驚いた時のアキとそっくりで、思わず笑みがこぼれた。


 猛は唇を閉じた。恥ずかしがっているような、喜んでいるような複雑な表情で大きく頷いた。健太の唇からほっと息が漏れる。猛の頭をそっと撫でると猛の唇にも微笑みが浮んだ。

 

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