これから一緒に
アキはずっと視線を窓の方へ向けていて、サバサバとした表情で一つ大きく息を吐き出した。
「こんな人間なんですよ。」
小さな声で呟き、身体ごと窓の方に向いた。グレーのTシャツを着た背中は、頼りない程か細かった。
「こんな人間なんです。黙っていて、すいませんでした。」
窓から差し込む日差しは眩しくて、断続的に吹き込む風が、アキの髪を揺らしている。
健太は大きく首を横に振った。そんなことをしても、アキからは見えない。分かっていたが、身体が動かなかった。
アキの話を聞きながら思い浮かべたのは、人形のように着飾った身体を、床に横たえた少女だった。その傍には等身大の、恐らく性欲を満たすために使っていた人形がある。アキと人形はどちらも無機質な瞳を見開いていた。
そんな凄惨な姿を、無数の足が踏みつけていた。性的な興味をむき出しにした男の足。嫌悪感を露わにした女の足。同情という仮面で好奇心を隠した老若男女の足。
その中に、自分の足もあったはずだ。
スクールバスの後部座席で、スマホの画面を覗いて囁き会う中学生達。その内容が何かを知っていて、「自分も見てみたい」と思ったのだ。
『アキを……。どうかアキを責めないで下さい。アキが悪いんじゃ無いんです……。』
初めて会った日に正人が呟いた言葉が耳に蘇り、ハッと息を飲んだ。
アキが悪いんじゃない。
そうだ、アキが悪いわけじゃない。だから、アキが懺悔をした罪人のように振る舞う必要はないのだ。
健太は握りこぶしを作り、両の太ももを力一杯叩いた。ドンと大きな音がして、驚いたアキが振り返る。切れ長の瞳が潤んでいた。そう言えば、最初に会った日自分も「ふてぶてしい女だ」と感じていた。きつい印象を与える切れ長の瞳と細い眉。色気を感じさせる体つきも何もかもが、アキの行く手を邪魔してきた。アキはただ、生きただけだ。どんなに困難な状況におかれても、諦めず。
殴打した足は感覚を取り戻した。身体を起こし、一歩大きく踏み出す。アキに向かって。アキの顔が見える場所に向かって。
「アキが悪いんじゃない。悪いのは、アキを放り出した母親だ。路頭に迷った女の子を利用した真田って男だ。勝手なイメージを本人に被せて私利私欲に利用した大人達だ。アキが悪いわけじゃない。」
これだけの言葉を言うために、かなりのエネルギーを必要とした。肩で息をする。喉が震えて上手く声が出ない。アキは小さく首を横に振る。自虐的な笑みが口元に浮かんでいる。
「私が馬鹿だから、ですよ。無計画に家を飛び出して、知らない男についていって。逃げ出すことだって出来たはずなのに、行くところがないからって、自分の意思で留まっていたんです。警察に行けば良かったのかなって、今となっては思うけど、その時は思いつきもしませんでした。本当に馬鹿で、恥ずかしいです。」
「誰も信じることが出来なかったんだろ?そんな世界で、どこに逃げたらいいんだよ。……アキが悪いわけじゃない。お前は、何も悪くない。」
アキは、尚も首を横に振った。その仕草が悲しくなり、思わず手首を握る。
ああ、と思わず声を出した。
初めてこの手を取ったとき、余りの細さに驚いた。その手首から今力強い弾力を感じた。当たり前だ。毎日草を刈り、トラクターで畑を耕し、とれた作物を運んでいるのだ。太陽の光を浴びて、土にまみれて。
「ありがとう。」
気付いたら、そう伝えていた。
「ありがとう、俺んとこに来てくれて。」
「……え……?」
アキの唇から、小さな声が漏れた。溢れそうになる涙を、天井を向いて堪える。
「辛いことがあっても、諦めないで生きてきてくれて、本当に良かった。でなきゃ出会うことが出来なかった。こんな人間って言ったけど、俺にとってアキは素晴しい人だよ。どんな困難にあっても諦めないで生きて、子供をちゃんと育てて、一生懸命働いて。俺は……。」
アキの手首を握っていた右手を離す。その指でこっそり自分の目尻を拭い、しっかりとアキを見つめる。この言葉は、ちゃんと伝えるんだ。そう、心に誓う。
「俺は、お前のことが好きだよ。世界で一番、大切な存在だ。」
アキは瞳を見開いて、健太を見つめた。その瞳に、健太は力強く頷く。
「大切な人だよ、アキは俺の。だから、全力で守る。勿論、猛のことも。」
「……あ……。」
アキの瞳が揺れて、小さな呟きが吐息に混じった。
「健太、それ、本当!?」
正人が勢いよく立ち上がる。思いがけない横やりに、思わず額に手を置いた。良いところなんだから邪魔するなと横目で睨むが、正人は気付かないようだった。
「良かった!アキ、健太とならきっと幸せになれますよ!なんと言っても、健太の愛は暑苦しすぎて、皆逃げ出すくらいなんです!健太なら、アキと猛君の心を愛情で一杯に満たしてくれますよ!」
「そうそう、俺は大体、愛が暑苦しいとフラれるんだ。アキの心を埋めてもおつりが来るぜ……って、おい!」
思わず裏拳を正人の腹に食らわす。
「こんな時に暑苦しいとか言うな!応援してんのか邪魔しようとしてんのかどっちだ!」
「応援してるよ、勿論!……健太の愛情の深さは僕が保証します!ちょっとお調子者でちょっと鈍いけど、明るいし一緒にいたらきっと楽しいですよ。オススメの人材です!」
「褒めるなら素直に褒めろよ!何だよその、オススメ物件紹介するような言い方。」
「いや、だって、何事もメリットとデメリットを公平に比べて比較しないと……。」
「愛の告白にそういうのはいらねぇんだ!」
ふっと、アキが笑い声を漏らした。急に恥ずかしくなり、耳まで熱くなる。アキの頬に涙が伝う。けれど、内側から溢れるように、口元が綻んでいた。
健太は思いきり深呼吸をしてから、改めてアキに向き合う。
「えーっと。総合的に判断しても、俺はかなり良い奴だ。一緒にいたら、退屈はしねぇ。」
何を言っていいのか分からなくなり、ガリガリ頭を掻いた。
「とにかく、あれだな。……お前も、俺に惚れてるべ?」
否定されたらどうしようかと内心ビクビクしながら、ちょっと格好を付けた。正人に邪魔された分を、挽回しておきたい。このままでは、後に笑い話となってしまいそうだ。
アキは、健太を見上げた。眩しいものを見つめるように目を細める。
そして、ゆっくりと頷いた。
「…………!!」
よかった!と雄叫びを上げたくなるが天井を見上げて堪え、ガッツポーズを作りたい衝動を拳を握ったり開いたりして凌ぐ。大きく深呼吸をした後、精一杯の決め顔を作ってアキに大きく頷いた。
「よし、だったらなんも問題ねぇ。いいか、これからは三人で生きるんだぞ。俺がお前らを絶対に守る。だから、安心しろ。」
アキの唇が小さく開き、熱い息が漏れた。
「……はい。」
小さく頷き、微笑みが生まれる。
健太はアキの頭をそっと引き寄せた。アキの額が小さく震えたが、丁寧に肩に押し当てる。
「よし、じゃあ、猛を迎えに行こう。」
健太の肩でアキが大きく頷いた。
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