アキの秘密-2

 どれくらいの時が過ぎたのか分からない。


 男はある日不満げな顔でアキの胸をわし掴みにした。

 『何でこんなに大きくなるんだ?』


 自分はどうやら、人形にはなれないらしい。生きている限り成長し、少女から女になる。少女趣味の男にしてみれば、大人の女に変わっていくのは醜くなるのと同じ事らしい。


 男は、子供が好むようなものを食べさせれば身体の成長が止まるのでは無いかと考えたようだ。これまでポテトチップスみたいなスナック菓子を与えられていたが、グミや綿飴、キャラメルといった小さな子供が好む甘い菓子に変わった。スナック菓子でも不十分だった栄養が、更に偏っていく。身体はだんだん衰弱していった。


 身体が痩せ細ると子供のような体型に近付き、男は満足そうだった。しかし、ある日男は悲しそうに眉を下げてこう言った。


『残念だね、君はもうすぐ死んじゃうね。飼っていた犬が死ぬ前のような目をしてる。』


 そうかも知れないとぼんやりと思った。随分遠回りしたけれど、結局餓死するのだなと思った。


 別に死んでも構わなかった。それを見るまでは。


 程なくして、家に大きな荷物が運ばれてきた。ドアの隙間から、青い制服の男が運んでいるものを見ていた。棺のような大きな白い箱だった。同じような物をホームセンターで見たことがある。食品ストックを貯蔵するための冷凍庫だとすぐに分かった。


 衰弱した身体は立つこともままならず、膝立ちで部屋の外を覗いていたが、体中の力が抜けてぺたんと床に尻をついた。


 『大丈夫。死んだらここに入れてあげる。ずっと可愛がってあげるからね。』

 男はそう言った。白い冷凍庫は、まさしく自分の棺となる物なのだ。


 死ぬのは構わない。でも、自分の死体がずっと男の元に残り、好き勝手に扱われる。ぞわりと背筋が寒くなり、嫌悪感に吐き気がした。


 消えて無くなってしまいたい。心からそう願った。


 その夜、白い光に目を覚ました。床に横たえていた身体を起こすと、窓の外に大きな満月が見えた。


 青白い光は、自分の身体を包んでいた。この光の中にいれば、自分を汚している全てのものが消えて浄化されるような気がした。月光が全てを取り除き、身体の細胞を一つ残らず消してくれることを願い、胸の前で両手を組んだ。


 『諦めないで、必ず幸せになれるから』


 胸にストンと落ちるように、その声が聞こえた。見上げた月は優しく微笑んでいるように見えた。


 『諦めないで、必ず幸せになれるから。』


 その言葉を反芻し、目を閉じた。そのまま、すぅっと意識が途切れていった。


 次に目覚めたのは早朝の光の中だった。


 身体に残る全ての力を振り絞り身体を起こすと、気配を殺し、外に出た。


 この世に季節があることすら、忘れていた。外は晴れていたが、地面には雪が積もり、凍てついていた。靴を見付けられず裸足で外に飛び出した。身につけているのはシフォンのワンピース。水色の薄布は氷点下二桁の外気から守ってくれはしない。それでも、必死で歩き続けた。しかし、やがて身体が動かなくなり、雪の上に倒れ込んだまま意識を失った。


 気が付くと病院のベッドにいた。どうやら無事に保護されたようだった。医者や看護師だけでなく、警察からも事情聴取を受けた。警察から聞いて初めて、男が「真田」という名前だと知った。真田は未成年者を監禁し、衰弱させた罪で捕まったらしい。しかし、母は迎えに来なかった。警察が訪ねた自宅には、既に違う人が住んでいて、母の行方は分からなかったらしい。


 暫くは何も考えることが出来なかったし、話もうまく出来なかった。裁判が開かれるからと弁護士に言われたが、何を聞かれているのか、それについて何を伝えたらいいのか分からなかった。

 『せめてもうちょっと、殊勝な顔が出来ないかな。ふて腐れているみたいに見えるから、裁判官の心証が悪くなる。』

 覇気の無い初老の弁護士は溜息交じりにそう言った。そう言えば、昔から自分は黙って立っているだけで態度が悪いと怒らる。


 裁判がどういう結果になったのか、そんな事に関心はなかった。終わったことにほっとした。これでもう、根掘り葉掘り聞かれなくて済む。男と顔を合わせることはもうないはずだし。世間に自分のことが知られていて、裁判の結果が「刑期が短い」「実刑は可哀そう」と論争になっていることなど、知らなかった。


 それなりに健康を取り戻すと、児童養護施設に送られた。しかし、その春には十八を過ぎたからと言う理由で世間に放り出されることになった。何とか、施設の職員がビルの清掃の仕事と家賃が安いアパートを見付けてくれた。中学二年で時は止まったままなのに、大人として仕事をしてお金を稼いで生きていかなければならない。不安で押しつぶされそうだったが、与えられた道を進んでいくしかなかった。

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