アキの秘密-1
アキの生家は農家だった。両親と祖母の四人暮らしだったと朧気に記憶している。父親の顔は覚えていない。だが、酒に酔っては暴力を振るう人だった事は記憶にある。ある晩父親は手が付けられないほど暴れた。母親が額から血を流していて、床にも点々と赤いシミが付いていた。
『逃げなさい!』
祖母の叫び声が耳に残っている。
多分その時に家を飛び出し、旭川の街に辿り着いたのだと思う。小学生になったばかりの頃だ。
程なくして、母親は家に帰ってこなくなった。時々お金を置きに来るが、すぐにどこかへ行ってしまう。母が帰ってくるのは定期的にでは無かったし、金額もしれていた。そのお金を幼い子供がやりくりできる訳がなかった。小学生の間中、いつもお腹を空かせていた気がする。小学校の思い出は給食のことだけ。いつも薄汚れた服を着て、風呂にもあまり入ってい。いつしかクラスでも浮いた存在になった。
中学二年の時、そんな生活が一変する。
母親が男を連れて来たのだ。母は家で生活するようになった。ただ水商売をしているようで、日中は家にいない。連れてきた男は仕事をせず、母に金をせびってパチンコに出かけるような人だった。その男が自分に湿度のある視線を向けてくるのが嫌だった。出来るだけ、顔を合わせないようにしていた。
しかし、ある日男はいきなり襲いかかってきた。馬乗りになり、制服のスカートをまくり上げてきたのだ。男が何をしようとしているのか、瞬時に察知した。逃れようともがくと、殴られた。それでも抵抗すると、男は力ずくで身体を押さえつけ、そのまま凄まじい力で殴り続けた。余りの痛みと恐怖に抵抗する気力を失うと、男はにやりと笑って下着を脱がせた。
それから、毎日のように男に襲われた。少しでも抵抗すると殴られる。だから、大人しくされるがままになっていた。気持ち悪かった。あまりにも気持ち悪くて、吐き気がした。
『この泥棒!人の男を盗んで!』
耐えきれなくなって、ある日母親に相談したら、そう言われた。
守って貰えると思っていた。そんな甘い考えがおかしくなって笑ってしまった。笑いながら罵詈雑言を投げつけ、そのまま家を飛び出した。
闇雲に走り回り、見知らぬ公園にたどり着いた。
公園には大きな蛸の形をした滑り台があった。滑り台には人が一人入れるくらいの穴があり、そこに身を隠した。11月の冷たい空気に震えながら。
このまま凍死するか、餓死するか。
一晩過ごして、それもじれったくて耐えられないと思った。次に夜の帳が下り、辺りが静まりかえると、踏切の警笛音が聞こえてきた。電車に飛び込んだら、遺族は賠償責任を負うのだったな、ぼんやりとそう思った。
育てる気が無いのなら、産まなければ良かったのに。勝手にこの世に産んでおいて放り出した挙げ句、自分が連れ込んだ男に暴行された娘を泥棒呼ばわり。そんな母親に多額の借金を負わせることが出来る。いい気味だと思った。翌朝、通勤ラッシュの時間帯に、その踏切を探した。
電車が迫って来るのを確認し、遮断機に手を掛けた時だった。
その手を、後ろから掴まれた。振り返ると、太った男性がこちらをじっと見ていた。
驚いてニキビだらけの顔を見ているうちに電車が通り過ぎ、遮断機が上がった。
『君、公園にいるでしょ?行くところがなければ、僕のところにおいでよ。』
男の手はじっとりと汗ばんでいた。垂れ下がった瞼の下から覗く瞳に湿度を感じたが、拒む気力も湧かず付いていった。
男の家は、今まで過ごしていた公園に隣接するマンションだった。8階建てのマンションの4階に男は一人で住んでいた。通された部屋の窓から、蛸の滑り台がはっきりと見えた。ここで過ごす自分の姿を、男はずっと見ていたのだろう。
部屋にはシングルベッドが置いてあり、乱れた布団の上に等身大の人形が転がっていた。幼女姿の人形は白いブラウスが半分はだけ、薄い胸元が露わになっていた。母の男に弄ばれた自分を見るようで、反射的に目を背けた。男はその人形を丁寧に抱き上げ、衣服を整え髪を撫でると、部屋の隅に座らせた。
男は腕を掴み、人形が寝ていた場所に押し倒した。驚いて声を上げ、逃げようとすると殴られた。身体が金縛りにあったように動かなくなった。
やはり、抵抗すると殴られるのだ。
殴られた痛みを感じながらそう思い、考えるのをやめた。だまって、男の腹がたぷたぷと揺れるのをぼんやりと見つめ、過ぎ去るのを待った。終わった後で、男は裸の写真を撮った。
『本物が手に入った。嬉しいなぁ……。勝手に出て行かないでよ。出て行ったら、写真を世間にばらまいてやる。』
無邪気に笑う頬に、無数のニキビ跡があった。気持ち悪いと思った。
性欲を満たし、写真を撮らせてやりさえすれば、男はそれなりに優しくしてくれた。だから逃げようとは思わなかった。食事はスナック菓子ばかりだったが、何も無いよりはましだった。男はネットショップで買ったお姫様のようなワンピースを着せて髪を漉き、大きなリボンで飾った。等身大の人形も、同じように扱われた。
そして、いつしか、人形のように心をなくしていった。
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