守りたいから

 健太は雲の形のテーブルで正人とアキに向かい合う形で座っていた。正人が入れたコーヒーはもう湯気を立ててはいない。


 アキは椅子に浅く座り、身体を小さく丸めていた。その姿が痛々しくて、健太は直視できないでいた。だが、重苦しい沈黙にもいい加減嫌気がさしてきた。よくよく考えれば、この二人が自分から口火を切ることは無いだろう。ならば、自分から話を振るしか無い。


 諦めて、息を吐く。


 「あの、さ。こんなに朝早く、アキは何で正人のところにいるんだい?」

 びくり、とアキは身体を震わせた。正人がアワアワと口を開く。


 「え、えっと……。」

 だが、まともな日本語にはならない。言葉を探して視線を泳がせる正人に顔を向けたアキは、きゅっと眉を寄せて息を吐いた。


 何もかも諦めたような、悲しげな視線をマグカップに落とす。アキの胸元が大きく上下に揺れた。


 「……昨日、正人から私のことを探している男がいると聞きました。だから、正人に協力して貰って、夜中のうちに何処かへ身を隠すことにしたんです。……でも、猛がいなくなってしまって……。」

 「二人で猛君を探していたら、のえるさんの脅迫電話が掛かってきて、樹々に戻れと言われたんだ。」

 正人が、アキの言葉を継いだ。


 「猛は、もしかしたら桃花のところへ行ったのかな。それを陽汰に見つかって、この騒ぎか。あの二人、今度あったらしっぺだな。」

 健太は努めて明るい声で言い、腕を組んでうんうんと頷いた。


 戯けてみたところで、空気は軽くなりはせず、却ってしらけた空気が広がる。


 健太は、ぐっとへその辺りに力を入れた。何故アキが追われているのか、聞かなければならない。男が誰なのかは察しが付く。しかし未だにアキを付け狙う理由が分からない。


 真実を知らなければ、守ってやることが出来ない。もしも二人に危険が迫っているならば、自分は刺し違えてでも守る。たとえアキへの気持ちが叶わなくても、惚れた女を守るのが男だ。


 「俺は佳音から話を聞いた。その男、アキを旧姓で呼んでいたらしい。その名前を聞いて、アキが昔巻き込まれた事件を思い出した。……凄く辛い思いをしただろうし、事件のことを周りに知られたく無いだろう。……今アキが危険にさらされているのは、俺のせいだ。俺が軽はずみなことをしたからだ。」


 テーブルに手をついて、頭を下げる。だがその顔をすぐに上げて、アキを正面から見つめた。


 「でも、俺はアキを守りたい。猛のことも。俺は、アキと離れたくないし、何があってもお前を守る。だから、教えてくれ。お前を探している男は、あの事件の犯人なのかい?」


 アキの顔から表情が消える。まるで能面を貼り付けたようだ。


 「……多分、そうだと思います。」


 頼りなく頷く。

 「……昔一度私の前に現われたことがあります。その時私を探していたと言いました。あの男は異常だから、私を探し続けているかも知れない。ずっとその事を恐れていました。だから、旧姓に戻さなかったんです。テレビに出るのも、怖くて……。」


 そう言って、上目遣いの視線を正人に向ける。その瞳は恐れを抱いて揺らぎ、すぐに床に落ちた。

 「……流産したのは、あの男のせいなの。黙っていて、ごめんなさい。」


 唇を噛みしめ、硬く目を瞑った正人は、大きく首を横に振った。

 「僕の方こそ、知らずにいて、ごめんなさい。」


 え、とアキの唇が動く。大きく見開いた瞳が正人を捉える。

「何故……。」

 震える声が正人に問いかける。正人はまるで溺れた人間が空気を求めるように顎を天井にあげ、肩を上下に動かした。


 「知ったのは、アキが去った後でした……。何も知らなくて、ごめんなさい……。」

 顎先を涙が伝い、大きな雫が床に落ちる。健太の頭が混乱する。


 「えっと……。正人は何を知らなくて、何を後から知ったんだい?」

 健太の問いに、正人は深く息を吐き、視線を床に移す。重力が手伝い、またボタボタと涙が床にシミを作った。


 「何もかも。何も知らずにいて、アキが去ってから全てを知りました。」


 正人の言葉でますます混乱が深まる。

 「だって、二人は結婚してたんだろ?色んな事を承知で、結婚したんじゃ無いのかい?」

 「いいえ……。」

 アキは静かに首を横に振った。

 「私たちはお互いのことを何も知らなかったんです。結婚の話になったとき、お互いの名前すら、知らなかった……。」


 アキの唇が、小さく歪んだ。


 


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