誘拐事件発生?-1
『何で親は名乗り出ないんだ?可愛そうだよなぁ……。』
ニュース番組を見ながら父親がそう言い、瑠璃色のぐい飲みを煽った。
『血だよ。』
食事を終えたテーブルを拭きながら、母親が不愉快そうに呟いた。
『ろくでもない親なんだろう。そのろくでもない親から産まれた子もろくでもない人間になるんだ。素行が悪いから、悪い人間に捉まったのさ。自業自得だよ。』
『そんな言い方、可愛そうだよ。』
母親の冷たい言葉に反感を抱いて言い返した。母親は表情一つ変えず手を動かし続けた。
『朱に交われば赤くなる。お前も素行の悪い人間とは付き合いなさんな。農場の名を汚す事にでもなったら、開拓したご先祖様に申し訳が立たない。』
母親が持っていた布巾が黄色くて、醤油を拭いた薄茶色のシミが残っていたのを、何故か鮮明に覚えている。
瞼に淡い光を感じて、健太は目を開けた。
気が張って眠れなかったが、時折落ちる先の夢は同じような情景を映し出した。
空は仄かに明るくなっていたが、時計を見るとまだ四時にもなっていない。胸がざわざわとして落ち着かず、観念するように身体を起こす。
昨日、佳音に樹々に来るように言われ、そこでアキの秘密を知ることになった。程なくしてずぶ濡れの正人が帰ってきたが、頑なに口を割らなかった。ただ、佳音も狙われる可能性があるから一人で出歩かないようにとだけ言われた。
佳音を家に送っていったが、怪しい人間はいなかった。そのまま連れて帰ろうとアキの姿を探したが、体調不良だからと悠人に告げて家に帰ったという。
あの放送以来、アキは視線を合わせなくなってしまった。謝罪は受け入れてくれたし、話しかければ平静を装う。しかし、何かに怯えていることは確かだった。
何が起っているのか、知りたい。だが、余りにも重たい事情であることが推測でき、簡単に水を向けることは躊躇われた。モヤモヤしていた矢先に、佳音がその答えにたどり着いたのだった。
『身体の調子はどうだい。』
そう気さくに声を掛ければ良いと帰宅してすぐ離れに向かったが、ドアチャイムを押す勇気が持てなかった。
重たい気持ちを抱えて、外に出る。昨日の雨で地面は濡れ、草に残った雫が夜明け前の光を映していた。ヒバリやハクセキレイの鳴声が空気を震わせている。
離れに目を向け、健太は息を飲んだ。
アキの自転車が無い。猛の小さな自転車は、家の前に停まっているのに。
胸がざわざわと波打つ。
こんなに朝早く、アキはどこへ行ったのだ?猛を置いて?
慌てて玄関の引き戸に手を掛ける。しかし、硬い手応えが開くのを拒んだ。生唾を飲み込んでインターフォンを連打する。しかし、中からは何の物音も返ってこない。耳を澄ましても、人の気配を感じることは出来なかった。
健太は急いでスマートフォンと愛車の鍵を取りに戻り、デミオのエンジンを掛ける。
どこへ、いくだろう。アキは。
黄緑色の欄干から身を乗り出す姿が浮んだ。冷や汗が吹き出していく。
アキは猛を自転車の荷台に乗せているのか?だったら、軽はずみなことはしないはずだ。……そう、願いたい。
アクセルに脚を乗せる。
アキが頼るとしたら、正人しかいない。あの日正人はアキに耳打ちしていた。『何かあったら、僕を頼って』。至近距離にいた健太は、微かにその言葉を聞き取った。あの時は、元夫婦の親密さを見せつけられたような気がして、激しい嫉妬に胸が締め付けられた。しかし今となっては、その言葉を伝えた時、正人がどれ程焦っていたのか想像できる。自分は何処までも浅はかで、軽はずみな人間だった。
正人の言葉に、甘えて欲しい。一人で行動せず正人を頼って欲しい。祈るような気持ちで小学校へ向かおうとした、その時だった。
スマートフォンがなった。黒い画面に見知らぬ番号と、シルエットのように無機質なアイコンが表示されている。普段なら警戒して出ないところだが、躊躇無く通話ボタンを押す。
『健太か?』
機械的な男の声がそう言った。血の通った人間の声ではない。ボイスチェンジャーで加工した声だと分かり、健太はゴクリとつばを飲んだ。
「そうだ。……お前、誰。」
緊張で、声が掠れる。電話の向こうで得体の知れぬ人物がくっくと喉を鳴らしている。
『猛は預かった。返して欲しければ樹々へ行け。今すぐだ。』
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