中国人に合わせた和室

 「この部屋は、中国人を侮辱している。」

 カフェのテーブルに広げた図面を見て、は不機嫌そうに行った。美葉は意味が分からず唖然と李を見つめる。

 どうやら、和室を指しているようだ。


 「すいません。なぜ和室が中国の方に失礼だと受け止められるのか、説明して頂けませんか?」


 美葉は努めて冷静に李に問う。文化の違いはある程度学んだ上で設計したつもりだった。しかし、文化という物は奥深い。知ったつもりになっていることも多々あるのだろう。


 知らないことは、聞くしか無いのだ。

 李は片眉をひょいと上げた。


 「和室は良いのですよ、日本らしくて。でも、こっちの洋室にベッドが置いてあると言うことは、和室には無いと言うことですね?」

 「ええ、そうです。押し入れにある布団を敷いて使用して頂きます。その方が、空間を広く活用できるでしょう?」


 李は口をムッとへの字に曲げ、図面を人差し指でつついた。


 「中国人には、床に布団を敷くという文化は無い。」


 「え!?そうなんですか?」

 美葉は驚いて李をまじまじと見つめる。アジア人は皆布団で寝るのだと思っていた。昔チラリと見た韓国ドラマでは、貧しい主人公家族がせんべい布団で寝ていたが。


 「中国人に布団を自分で敷いて寝ろというのは、奴隷扱をするに等しい。『お前になど寝床は必要ないが、床に敷く布団くらいはくれてやろう』というニュアンスになってしまうのですよ。日本の文化に詳しい人なら日本らしいと喜ぶかも知れませんが、殆どの人からは反感を買います。」

 「ほおおお。そうなんですね。これは、無知でした。大変失礼しました。早速案を練り直しますね。」


 頭を下げると、李はとあっさり怒りを取り下げ、笑顔を見せた。


 「僕は、日本人のそういう素直な対応が好きです。中国人は自分の非を認めない。頭を下げるなんてもってのほかだと思っている人が多い。日本人とのコミュニケーションにはストレスが無い。出来ることなら、ずっと日本に住みたいよ。」


 李の表情が解れ、美葉もほっとする。それでつい、プライベートな質問をしてしまった。


 「李さんは日本に永住したいと思っていらっしゃるのですか?」

 「ええ。でも残念ながら今は、中国と日本を行ったり来たりです。在留申請すらしていません。」


 李は寂しそうに首を横に振った。


 「今の僕では、在留申請する根拠が無い。どこかの企業に属しているわけでも、特定の技能があるわけでも無いからね。このビジネスが成功したら、未来は開けるかも知れないね。それよりも手っ取り早いのは、日本人の奥さんを貰うことかな。……ところで、美葉さんは独身?彼氏はいないの?」


 李はずい、と身を乗り出してくる。美葉は思わず詰められた距離と同等分身体を後ろに引いた。


 「わ、私、11月に結婚する予定なんです。」


 李は残念そうに唇を尖らせた。ほっとしたのもつかの間、李は更に身を乗り出してくる。


 「でも、美葉から幸せオーラを感じないんだけど。美葉はその結婚、心から望んでいるの?」

 突然呼び捨てにされたうえ、真っ直ぐに瞳をのぞき込まれて美葉はたじろいだ。


 「勿論ですよ。相手は自社の社長です。実家は貧乏な田舎の商店なので、お金持ちに嫁ぐシンデレラストーリーなんですよ!」

 「ふうん?でも、美葉はシンデレラ姫って感じじゃ無いね。男の地位で自分の幸せが変わる事なんて望んでいないように見える。どっちかって言うと勇者だよ。……この、ソフィアみたいなね。」


 奇しくも李はRPGゲームのキャラクターTシャツを着ていた。大きな剣を持つ男性の横に緑色の髪の女性が大股を開いて座っている。短い上着の下から、パンツが思いっきり覗いているのだが。


 美葉は苦笑いを浮かべる。


 「勇者キャラだとは、よく言われますよ。お金持ちと結婚しても、自分の人生は自分で切り開いていくって事に変わりはありません。だから、結婚も自分の意思で選んだんです。」


 李は身体を後ろに引いて、アイアンの背もたれに身体を預けた。視線は相変わらず美葉の瞳を射貫いている。


 「愛しているの?その人のこと。」

 問われて、頭がショートしたように動かなくなった。何故か鮮明に正人の笑顔が思い浮かび、幻のように消えていった。

 未だ消えない面影に辟易とする。まるで心を雁字搦めにしている鎖のようだ。頭の中を常に仕事で満たしても、僅かな隙間から現われる。

 こんなこと、いつまで続くのだろう。


 返答がないことを不思議だと感じたのか、李は首を傾けた。美葉は慌てて笑顔を繕う。


 「愛してなければ、結婚なんかしませんよ。」

 そう言ってから、珈琲に口を付ける。既に冷めていた珈琲は舌に苦く広がった。


 「……美葉は、嘘をつけない人だね。」

 テーブルに肘を突き、人差し指を顎に当てて李は左目を眇める。まるで未来を予見する占い師のような顔で、言葉を続けた。

 「その結婚は、美葉を幸せにしない、と思う。」


 「何故です?」

 美葉はムッとして応じた。これから結婚する人間に対して発する言葉ではないだろう。大した根拠がないなら、不快だとはっきり言ってやる。


 「美葉が自分の心に嘘をついているからだよ。下手くそな嘘だから、すぐに見破れる。……本当は、愛してなんかいないんでしょ?そのお相手の事。」

 「そんなこと……。」


 反論しようと口を開いたが、言葉を続けることは出来なかった。確かに李の言う通りで、涼真への気持ちがまだ恋愛感情には至らない事に自分でも気付いている。言葉だけ取り繕っても李には通用しないようだと諦め、溜息をついて首肯した。


 「愛情は、いずれ湧くと思います。大切な人で、そばで支えていきたいという気持ちに嘘偽りはないです。」

 「ビジネスパートナーだね、まるで。」

 そう言って李は小さく笑った。


 『ビジネスパートナー』


 その言葉はグサリと美葉の心に刺さる。佳音にも言われていたことだ。結婚は仕事では無いのだと。


 「恋愛は、頭でするんじゃない。もっと原始的なものさ。好きになる人は、初対面の時から分かるんだよ。……美葉がそのフィアンセのことを心から愛する日は、来ないと思うよ。」

 「分からないですよ、そんなの。」


 抵抗した言葉に力は無く、見透かしたような李の微笑みに打ち消されてしまう。


 「本当の愛が間にない結婚は、お互い不幸なんじゃないかな。」

 そう言って李は美葉に向かって身を乗り出した。


 「僕のことは、どう思う?」

 結局そこかよ。美葉はすっと冷静さを取り戻し、右手を前に翳した。


 「素敵なお客様だと思いますが、プライベートな事に踏み込まれて困っています。李さんは私のビジネスパートナーですから。」

 努めて冷静に応えると、李は身体を仰け反らせて笑った。


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