しつこいんだよ!

 「そんなー!美葉さんが僕を忘れることなんて、出来ませんよー!」


 ひょろひょろと細長い身体の正人が、地面に開いた小さな穴からみょーんという音と共に飛び出してくる。


 「うるさい!」

 美葉は赤いハンマーを振り回してそれを叩いた。


 「ひょえー!」


 そいつは奇声を上げて、空気が抜けていく風船のように宙を飛び回る。


 目の前には荒涼とした大地が広がり、そこには無数の黒々とした穴が開いている。美葉は自分の頭よりも大きな、ピコピコハンマーを担いでいた。


 「大体、最初に決めたのは僕と生きる人生だったじゃ無いですかー。」


 穴から新たに細長い身体の正人が現われる。美葉は躊躇無くハンマーを振るった。殴られた正人が奇声を上げて宙を舞う。


 「酷いなー、僕を見捨てるんですか?」

 「いやいやないでしょ。本当は僕のことが好きなんですもんね!」

 「あんな浮気男より、僕の方が絶対いいですよー。」

 「帰ってきてくださいよー!」


 あちこちの穴から、正人が現われる。


 「うるあぁぁぁぁー!!」


 美葉は怒号をあげてハンマーを振り回す。正人達は次々に宙を舞っていくが、新たな正人が後から後から現われる。美葉は肩で息をしながら、ハンマーを振り回す。


 「ちょっと背中向けられたくらいで、なんで諦めちゃったんですかー。」

 「すぐに違う男に乗り換えるなんて、酷いなー。」

 「冷静になってくださいよー。」

 「本当に好きなのは僕でしょー?」

 「無理矢理結婚しても、幸せになれませんってばー。」


 「だああああああああ!うるせえええええええ!」


 ハンマーを背中に振りかざし、身体をしならせながら振り下ろす。そのまま、今度は横に払い、正人達をなぎ倒していく。次々と奇声を上げて宙を舞う正人で空中が一杯になり、身動きが取れなくなっていく。しかし、細長い正人は穴から生まれ続けていく。


 「僕と生きるって決めたでしょー。」

 「自分の選択に責任持ちましょー。」

 「心に嘘はつけませんよー。」

 「一回冷静になって考えましょー。」


 「うるさーい!!!!!」


 振り回そうとするハンマーにも腕にも、ひょろひょろの正人が纏わり付いて身動きが取れない。美葉は身体を捩らせてもがく。


 「足掻いても無理ですよー!!!」


 全ての正人が声を合わせた。


 「美葉さんは僕のことが好きなんですからー!!!!!」


 視界が真っ暗になり、奈落の底に突き落とされるような感覚に陥る。


 ――ごん!


 次の瞬間、額に強い衝撃を受けた。


 目を開ける。視界が光とクリーム色に染まっている。それが、朝の光とラグの色だとしばらくして気付いた。眠っていたソファーから転落し、床に額を打ち付けたのだ。ラグがあって良かった。フローリングだったら大きな瘤が出来ていたかも知れない。


 身体を起こし、額を摩る。

 夢の記憶は鮮明で、正人の声がまだ耳に木霊している。


 「うあぁぁぁぁぁぁ!しつこい!!!」


 握りこぶしを握り、美葉は空に向かって吠えた。


 「しつこいぞ!木全正人!ほんっとにしつこい!そっちがその気なら、こっちも本気だ!ぜーったい忘れ去ってやるっ!」


 自分の心に何時までも住み着いて離れない正人に、本気で怒りを覚えた。


 「な!?ひえー!!」

 今度は寝室から悲鳴が上がる。すぐに涼真が寝室から飛び出してバスルームへ駆け込んだ。


 恐らく、自分が寝ゲロにまみれている事に驚いたのだろう。シャワーの音が聞こえる。


 「暇なんだわ。」


 その音を聞き流しながら、美葉は呟いた。


 「頭に隙間が空かないくらい仕事をしていないから、思い出すのよ。」


 そうだ。当別に帰りたくても帰れなかったあの時は、一日の大半を仕事に当て、仕事以外のことに思考を向けることが出来なかった。だから、正人の異変に気付いていても、何らかのアクションをとることが出来なかった。その時くらい忙しくしていたら、きっといつの間にか正人は過去の人になっているはずだ。


 程なくして、バスローブに身を包んだ涼真が頭を拭きながら出てきた。その正面に、仁王立ちになる。


 「社長!」


 「しゃ、しゃちょ!?」

 腹の底からドスのきいた声でそう呼ぶと、ぎょっとした顔で涼真は仰け反った。


 「仕事っ!例のスペシャル案件ってやつ、ください!仕事させて!無いなら作って!」

 「は……?」


 ぽかんと口を開けるので、ダンと床を踏みならした。


 「出来ないとは言わせないわよ!」


 「は、はひっ!?」

 怯えた顔で後退る涼真に、美葉は一歩詰め寄った。


 「それから、寝ゲロの後始末は自分でしてね!」

 「えええええー!」

 涼真は悲鳴のような声を上げた。

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