彼をよろしく-3

 「……正人さんは、元気にしてる……?」


 思わず、その言葉が口をついてしまった。保志はふっと息をはいて笑った。


 「元気にしとるで。」

 頷いた答えに、ほっと胸をなで下ろす。それならばいい、と心の中で呟く。


 「あいつは今、思春期真っ直中や。」


 「思春期……?」

 思わぬ言葉に首を傾げる。保志は首肯し、目を細めた。


 「初めての大失敗で、やっと己の身の丈を知り、今まで沢山の人に支えられて何とかやって来たってことに気付いた。自分のあかんとこばっかり目について、あたふたしとる。そんで、自分探しを、やっと始めたところやな……。」


 正人の話をする保志は、父親のようだった。傍若無人な言動の裏に隠れた愛情を見付けて、なんとなくくすぐったい気持ちになる。


 「あれ、正人さんにとって初めての失敗になるのかな?」

 荒れ果てた工房を思い出すと、今も胃がひっくり返りそうになるのだが。


 「そうやな。あいつは子供の頃は小さい失敗はようさんしたやろうけど、決定的な失敗になりそうな事からは逃げとったんと違うかな。誰も助けてくれる者はおらんかったやろうから。


友達もおらん、親も頼りない。その中で自分を守る方法は、じっと蹲ることだけや。だから、子供の頃にぶつかるべき壁にぶつからんかった。


恐らく、最初の失敗は工房を建てた事や。身の程知らずな事をして、失敗して身の丈を知るはずやった。ところが、美葉という救世主が現われた。順調に出来ている現状を、自分の身の丈やと勘違いしたんがあの失敗の原因やな。」


 「……私が、ちゃんと見守ってたら良かったんだよね。」

 美葉の言葉に、保志は大きく首を横に振る。


 「あいつにとって、必要な失敗やったんや。ずっと、身の程を知らんままでおる訳には行かん。ちょっとぶつけ方が酷すぎてショックがでかかったが、それも自業自得や。」


 ケラケラと保志は笑うのだが、美葉はとても一緒に笑う気にはなれない。


樹々を始めた時点から、正人の人生の舵を握ってしまったのかも知れない。それなのに、自分の都合で突然舵を手放してしまった。そう思うと居たたまれない気持ちになる。確かに正人に自営をしながら職人をしろといいうのは無理なのだ。


だが、別れ際に「樹々を続けて欲しい」と無理な事を続けるように願ってしまった。正人がその言葉に縛られていないと良いのだが。


 「あいつは一生思春期のままかもしれんなぁ。」

 そう言いながら、愛しいものを見詰めるように、保志は微笑む。


 無垢な思春期の心で自分探しを続ける正人。


 ――隣で、その旅を見つめていたかった。


 明瞭に浮んだ言葉に、思わず固く目を閉じた。


 ああ、そうだ。


 今まで正人への想いが何らかの形になることを避けてきた。どんな形になったとしても、側にいたいという願いになるに決まっているのだから。


 「……ほんまに、ええんか?」


 静かな保志の問いかけが、胸を貫いた。


 再び正人の笑顔が鮮明に思い浮かぶ。自分だけに向けられてきた優しい眼差しに、手を伸ばしたくなる。


 けれど。


 『選んだ答えに、責任を持つ』


 自分自身に強く言い聞かせた。涼真と共に歩むと決めたのだから、今更進み始めた道を引き返すわけにはいかないのだ。孤独な心に寄り添い続けると、信じ続けると、裏切られても赦すのだと、決めたのだ。


 保志に視線を向けて、口角を上げる。


 「正人さんを、お願いね。」


 保志は微かにひるんだ顔をした。困ったような笑みを浮かべ、「ホンマに頑固やなぁ」と微かに呟く。そして、ゆっくりと首肯した。眉間の皺はいっそう濃くなったのに、目尻はやけに優しかった。


 「わかった。……ほな、涼真を頼むな。」


 そう言って、視線を涼真に向ける。美葉も安らかに眠る背中を見つめた。


 「わかった。」

 美葉は、大きく頷いた。

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