花火の夜:正人

 花火を見るために集まった人々で、少し高台になっているグラウンドは混雑していた。正人を見付けると、保志がにかっと笑って手を上げる。その隣に波子がいて久しぶりだねと笑いかけてくれた。桃花と猛は地面にしゃがんで花火を待っている。背の高いのえると頭二つ分小さな陽汰、手を繋ぐ錬と佳音、健太の隣にはアキがいた。目が合い、ぎこちなく会釈を交わす。


 「僕、そろそろ滝之湯に行かないといけない時間なのに……。」

 「まだそんなこと言ってる。」

 正人の呟きに、千紗が呆れたように溜息をつく。


 「今日は、とことん付き合って貰うよ。花火の後は、森山家で手巻き寿司パーティーさ。」

 「そんなぁ……。」


 もしも明日朝起きられなかったらと思うと落ち着かなくて今すぐ回れ右をして帰りたくなる。チラチラ後ろを振り返っていると、急に背中をバンと叩かれた。大きな手の感触で、犯人は保志だと分かる。答え合わせのように、保志のダミ声が降ってくる。


 「なんや、明日のことを気にしとんのか!」

 「勿論ですよ!寝る時間は特に、一分でもずれないようにしないとっ!」

 さも面白そうに言う保志に手をバタバタ揺らして抵抗する。

 「明日くらい休みにしたらええやないか。仏壇も納品したし、どうせ今注文入っとらんやろう。」

 「そ、そうですけどっ。」

 結局痛いところを突かれて、返す言葉を失ってしまう。


 「そういや、樹々って定休日あったっけ。」

 波子が首を傾げる。正人は口をへの字に曲げたまま、首を横に振った。


 「休みだからって、する事無いし……。」

 「くそつまらんやっちゃな!」


 保志がそう言って、ガハハと大口を開けて笑った。他の人たちにも笑われて、恥ずかしくなる。頬が熱い。

 

 「今からそんなに上見てたら、首が疲れるぜ!」


 健太の声に視線を向けると、空を見上げたままアキが頬を赤く染めていた。寄り添うように並んでいる二人を見て、正人は胸が熱くなる。アキがはにかんだように笑みを浮かべる。そんなアキに佳音も笑顔を向けていた。


 元気そうで良かった。みんなに良くされて、幸せそうで良かった。自分を頼ってきたのに何も出来ないでいたが、沢山の人に支えられて生きている。その事が何よりも嬉しかった。


 シュルシュルと細い音が空を昇り、間髪入れずにどんと腹に響く音がした。空が明るくなる。赤や黄色の光が、中心から花開くように広がっていく。パラパラと音を立てて光が散るよりも早く新たな花が咲く。


 空に、光の花が咲いている。


 正人は、生まれて初めて花火を見た。

 腹の底に響くような破裂音も、眩しい光も、儚く消える光の粒も、湿った空気も、息を飲む人々の気配も、今まで知らないものだった。


 そう言えば、一度美葉に花火に誘われて、断ったことがあった。当別で初めて迎えた夏のことだ。あの時は、こっそり美葉の椅子を作っていた。美葉が出かけている内に少しでも仕事を進めておきたかったのだ。


 『つまんない。じゃあ、来年は行こうね。』

 でも、次の年は雨で花火は中止になった。その後美葉は京都に行ってしまった。


 いつか、二人で見たいと思っていた花火を、一人で見ている。


 いや、一人では無い。みんなと、見ている。


 自分を受け入れ、手を差し伸べてくれる人々と共に、空を見上げている。そこには一瞬で消えていく眩しい光がある。この一瞬一瞬が、忘れられない共通の思い出になる。


 叶えられなかった美葉との時間と、それでも自分に与えられた大きな愛と。


 正人の心の中に花火の色彩のように様々な感情が交ざり、瞳から溢れてくる。


 『愛は、責任を持って貫くべきです。その結果がどうであっても、放棄してはいけないと思いますよ……。』


 仁の声が、炸裂音に混じって正人の耳に何度も蘇る。その度に、掻き毟るような痛みを感じた。


 後悔、しているんだ。


 正人は、初めて自分の本心に気付いた。


 ――愛する人の手を。そのぬくもりを。まなざしを。眩しい笑顔を。


 涙で呼吸が荒くなる。


 ――手放したくなかった。ずっと、傍にいて欲しかった。


 たとえそれが、どんな結末になろうとも。いつか傲慢で自分勝手な選択だったと、己を呪うことになろうとも。


 愛する人と、共に生きていきたかった。

 いつまでも。

 いつまでも……。


 空に光の花が咲く。

 胸に去来する想いと重なり淡く空に溶け、また新たな光が昇り、大輪の花となる。


 光の花達が、涙ににじんでいく。

 

 頭に、温かなものが乗った。視線を移すと保志が傍にいた。その視線は花火のずっと向こうを見つめているように見えた。

 

 

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