アキの正体-1
保志は小さなスナックのドアを開けた瞬間に、以前にも訪れたことがあると気付いた。赤い絨毯に、カウンター席だけの店。小太りで化粧の濃いママと小柄な若い女性が、カウンターの中にいる。この光景を以前確かに見たことがある。
一番奥の席に座ると、若い方がおしぼりを持って保志の隣に座ろうとした。
「ええわ。俺気ぃ使うん嫌やから隣に座らんといてんか。」
そう言ってから、ある光景が脳裏に甦った。
随分前にも、同じ事を言った。おかっぱ頭の小柄な女性。思い出したその顔は、紛れもなくアキだった。あの時は言い方も随分荒く、アキは傷付いたように顔を伏せた。
あの娘、ここのホステスやったんか。
水商売の女には見えんかったな。そう思いつつ、ジャックダニエルのロックを注文する。そこへ、先客の男が水割りのグラスを片手に保志の隣に座った。
「もしかしたら、今日うちの会社で先代と話してた人?」
顔は四十代に見えるが、その割に額が広い。初対面なのに随分親しげに声を掛けてくる。
「ああ、そうやが?」
保志は片眉を上げて探るような視線を遠慮無く男に投げた。男は意に介さずというように言葉を続ける。
「俺はあの会社の清掃スタッフだ。食堂を掃除している時にちらっと声が聞こえたんだが、正人んところにアキが戻ったんだって?」
「ま、そんなとこや。」
詳細を話す気になれず、適当に相槌を打つ。男はニヤリと笑った。
「正人も厄介な女に取り憑かれたもんだ。」
さも意味深な笑い方に嫌悪感を覚えたが、保志は無表情を顔に張り付けて問いかけた。
「あんた、アキって女、知ってんの?」
ひひひ、と男は嫌らしい笑みを浮かべる。
「知ってるもなにも。俺もあいつとヤッたことあるぜ。見かけ倒しのマグロだったがな。」
保志は眉をしかめた。「俺も」というほど男に股を開いていたということか。しかし、初対面の人間に自慢することでもない。
それから、男は言葉を続けた。
***
保志はズボンのポケットから財布を出すと、一万円札を男の前に叩き付けた。
「ここの飲み代奢るわ。……悪いけど向こう行ってんか。」
出ていけ、と言う言葉を飲み込んだ。
保志の静かな迫力に恐れを感じたのか、男は一万円札を握りそそくさと一番端の席へ移動した。
ママが若い女に何か耳打ちをした。女は頷き、カラオケのデンモクを手に男の隣へ行く。
「かっちゃん、歌ってよぉ。いつものあれー。」
甘えるように女が男の腕に自分の腕を絡ませて身体を密着させた。男は鼻の下を伸ばす。程なくして、尾崎豊のIloveyouが流れ出す。見かけによらずいい声で、余計に気分が悪くなった。
「お代わり、入れましょうか?」
ママが赤い唇を綻ばせる。保志は頷きながらその顔に鋭い視線を向けた。
「……よう、黙って聞いとったな。この店で働いてた娘やろ。」
声に怒りが滲むのを、抑えることが出来なかった。
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