第十八章 綾なす心
孫をそそのかす女
正人が隠す元嫁の事情が分からないことには、正人が何を考えているのか分からない。
そう思い、久しぶりに保志は孝造の元を訪ねた。孝造は正人の祖父であり、永山家具という、家具の製造販売を行なう会社の創始者である。齢は七十五歳を超し、今は甥に会社を任せて現役を退いている。
孝造は皆から「髭親父」と呼ばれている。その由来である豊かな口ひげも、上品に整えた髪も真っ白になった。
孝造は、社員食堂に保志を案内した。
社員食堂には手作りらしいテーブルがずらりと並んでいる。長方形の板材に角材の脚を合わせたシンプルな作りだが、寸分の狂い無い机がずらりと並んでいる様は、寒気がするほど無機質だ。そのテーブルに、不揃いの椅子が並んでいる。一つのテーブルは4人掛けだ。保志はテーブルの数を数え、思わず呆れて溜息をついた。テーブルは20台。つまり椅子は80脚で、その全てがデザイン違いだ。1脚1脚に意匠をこらした工夫が施され、温かみがある。
調和が取れていない。異質な空間に若干気味悪さを感じた。以前訪ねたときは、既製品のテーブルと椅子を並べた場所だったのだが。
「保志さん、待たせたね。今この食堂で一押しの豆乳ラテを作って貰ってたんだよ。」
孝造がニコニコと笑い、乳白色のマグカップを盆に乗せてやって来た。
「豆乳ラテやて。えらいおしゃれな。」
保志はからかうように言い、早速口を付ける。牛乳よりもあっさりとしているがまろやかだ。えぐみのような風味はなく、大豆の香ばしさが珈琲の苦味とよく合う。
「豆乳はこの近くの農園から分けて貰っているんだよ。」
「社員食堂やのに凝ってるなぁ。」
素直に感心し、また口を付ける。それから、もう一度ぐるりと食堂を見渡した。
「模様替えしたん。」
何気なく問いかけると、孝造はああ、と驚いた顔をした。
「これは、全部正人が作った物ですよ。そんなに保志さんはここに来てなかったんですね。すっかり正人に常連客を盗られてしまった。」
孝造は髭を揺らして笑った。
「狂いの無いテーブルを作れと言われたら、コンマ一ミリの狂いが無くなるまで作り続けるし、最上の座り心地を追求した椅子を作れと言われたら、社員全員の椅子を作るし。修業時代の正人には本当に手を焼きました。作った物の置き場所に困り、ここに置くことにしましたよ。」
「そうかそうか、正人の作った奴かいな。」
そう言われると腑に落ちて、保志は思わず豪快な声を上げて笑った。しかし、孝造は複雑な表情を浮かべる。
「……この、無機質で融通の利かないテーブルと、複雑なバリエーションを持つ椅子は、正人の内面を映し出す鏡のようでね。見るたびに心配になるんですよ。」
はっと息を飲み、保志は改めて食堂を見渡した。
「こんなでこぼこでアンバランスな人間が、世の中で上手くやって行けるだろうかと。」
保志は孝造の言葉に苦笑する。本当に、このじいさんは孫に対して過保護だ。
「そのでこぼこでアンバランスなところが大人気なんやで、正人は。もう、あの場所では無くてはならん存在になっとる。」
「そう、ですか……。」
孝造はマグカップに視線を落とした。
「しかし、美葉さんとは上手く行かなかったと聞きましたが……。」
保志は、背中をすっと立てた。本題に入るタイミングだ。
「その上手くいかんようになった原因は、正人の元嫁や。ある日突然、子連れで正人の前に現われたんや。」
孝造は驚いたように顔を上げ、保志を凝視する。その顔が、見る見る歪んでいく。とても醜いもの見せつけられたかのように。マグカップを持つ手がワナワナと震えるだした。
「あの女が。……性懲りも無く正人の前に現われたんですか。そしてまた、正人の人生を狂わせて……。」
怒りを露わにし、そう呟く。
「……正人が結婚してたこと、俺、聞いたことあったかいな?」
怒りに気付かないふりをして、戯ける。孝造に最後に会った時には、正人がフルオーダーメイドの工房を建てたいと言い出して困っていた。その頃には、アキとは別れていたと思われるが。
孝造は苦々しげに首を横に振る。
「言うわけありませんな。正人の人生の汚点をわざわざ人様に曝け出すようなこと……。」
えらい言い方やな。保志は内心驚く。温厚な孝造が、他人に対してこんなに嫌悪感を持つなど想像できないことだ。それが、愛してやまない孫の嫁とは。だが、アキはそんなに悪い人間には思えない。寧ろ庇護が必要思うほど弱々しい。
「……あの娘と正人は、子供が出来たから結婚したって聞いたけど、ほんま?」
保志の問いかけに、孝造はギリっと奥歯を噛んだ。
「……正人は、あの女に騙されたんですよ。あの、男癖の悪い女に。」
「騙された……?」
「……あの女は、ここらでは評判の男好きの悪女です。その女に騙されて、結婚させられたんですよ。そして子供が流れたら、もっと稼ぎのいい男に乗り換えて、姿を消したんです。」
「男好きの悪女!?」
保志は思わず身を乗り出した。
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