シュラスコ初体験
今日二人を連れて来た目的は、もう一つあった。
健太の手には、保志が手書きで「シュラスコとブッへただ券」と書いた紙がある。汚い字で書いたこの紙が果たして有効なのかどうか、自信は無い。オーダーを取りに来た女性に訳を話すと、「確認します」と怪訝な顔をされた。
「オーナーさーん!せめて印鑑ぐらい押して下さいよ!それから、ブッヘじゃなくてビュッフェです!何度言ったら分かるんですか!」
レジがあるカウンターから聞こえてきた声に思わず笑ってしまう。受話器を置いた店員が、すました顔で戻ってきたので、更におかしくて必至で笑いを堪えた。
「確認が取れました。全部奢るから何でも飲み食いして良いそうです。」
「アザース。」
健太は店員に頭を下げ、猛に親指を立てて見せた。
「猛、この店にあるものは全部食べ放題だ。あそこに並んでる料理も、ジュースも、ケーキもだ。それから、肉が次々運ばれてくる。ただし、皿に盛ったものは絶対に残さないこと。だから、最初は少しずつ皿に盛るんだぞ。」
猛は目玉が飛び出しそうなほど目を見開いて頷いた。隣を見ると、アキも同じように目を見開いている。二人の顔はよく似ているが、時折二人で全く同じ顔をするから面白い。
猛はオレンジジュースと、スパゲティーやピラフを皿に盛る。ハンバーグも入れようとしたが、肉を食ってからの方が良いというアドバイスを素直に聞き入れた。アキは遠慮がちにサラダを少し皿に盛った。
程なくして、コック姿のブラジル人のパサドールが串刺しにした肉塊とナイフを持って各テーブルを周り始めた。慣れた手つきで肉塊からナイフで肉を削ぎ、皿に盛っていく。それを見ている猛の身体がわくわくと揺れている。
自分たちの席にパサドールがやってくると、猛が目も口も見開いてその手元を凝視した。アキの口も半開きになっている。外側のこんがりとした焼き目に反して肉塊の中は桃色をしていた。スライスを皿に盛り付けると、パサドールはアキにウインクをよこした。アキの顔がポッと赤くなる。思わず健太はパサドールを睨んだ。日本人にはない色気が卑怯だ。
「おいしい!」
猛は歓声を上げる。アキも目を閉じて頷いているので、すぐに苛立ちは満足に変わる。
「凄く柔らかい。こんなおいしい物を食べたの初めてです。」
アキは溜息交じりに言った。
「この前バーベキューした時も全部の食べ物にそう言ってたぜ。」
健太が笑うと、アキは恥ずかしそうに口をつぐんだ。馬鹿にしたように聞こえたかと健太は慌てる。しかし、アキはそっと微笑んだ。
「ここでお世話になってから、全部の物が美味しいです。お米も、新鮮なお野菜も。皆で火を囲んで焼いた物を食べるのも。……今まで、猛に粗末な物を食べさせていたんだなって思うと、反省しかありません。」
「ここの食べ物が美味いのは当たり前さ。なんたって俺らは生産者だからな。美味くなけりゃ、胸を張って売れないさ。でも、みたらし団子はアキが生活の工夫から生み出したものだ。それが皆に喜ばれているの、今日も見ただろ?」
「そう、ですけど……。」
アキは曖昧に頷く。
「実際に作っているのは佳音さんだし、味の決め手は節子さんのお醤油です。」
「確かに、佳音が頑張って作ってくれてるし、節子ばあちゃんの醤油があったから良い味になった。皆で作ったみたらし団子さ。アキも含めて。」
アキは頬を赤くして俯く。
パサドールがまたやって来て、ソーセージを盛っていった。
「暗い顔、駄目ですよ、お嬢さん。顔上げて、折角綺麗な景色です。見て下さい。今が一番、美しいです。」
パサドールは身体をかがめて、アキの耳にささやいた。たどたどしい日本語がかえって色っぽい。こいつ完全にアキを狙いにきてるな。健太は思いきり咳払いをした。パサドールはにやりと笑って退散する。
「そうだ、あいつの言うとおり。折角窓の大きな店だ。外の景色を堪能しようぜ。」
大きな窓や、所々に様々な種類の羽目板を張ったおしゃれな店内は美葉が設計したもので、三角形を限りなく円に近付けた形のテーブルは正人が作った物、ということは伏せておく。
「そうですね。……小麦畑、本当に綺麗ですね。毎日、こんな綺麗な景色があるんだって思いながらお仕事させて頂いています。」
アキは窓の外に目を向けた。眼前には小麦畑が金色に色づいている。広大な敷地はその殆どがまだ空き地である。保志の「命の町」計画は遅々として進んでいない。ただ雑草を生やしていては見栄えが悪いので、菜の花や小麦、向日葵などを植え、景観を楽しむ散策路を作って誤魔化していた。
ハッと健太の頭に名案が閃く。思わずテーブルにナイフとフォークを握った拳をドンと置いた。
「明日、とっておきのものを見せてやるよ!」
二人に向かって身を乗り出した。
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