幸せは心の中にある-1

 片桐農園で去年購入した複式収穫機コンバインは大型だ。悠人もコンバインを持っているが、わざわざ自宅から道々を走らせて持ってきたのには理由があった。

 このコンバインには補助席が付いている。アキははしご状のステップをよじ登り、運転席のやや後ろにある補助席に座った。


 「シートベルト、しっかり締めてな。」

 言われるまま、アキは腰にベルトを巻く。その膝に、猛を持ち上げて座らせた。


 「結構揺れるから、しっかり抱っこしててな。猛はちゃんと横の手すり、持っとくんだぞ。」

 「はい!」

 猛は嬉しそうに笑顔を見せながら、言われたとおり黒い手すりにしがみついた。健太は運転席に乗り、エンジンを掛けた。車体がブルブルと振動する。


 「では、出発進行!」

 かけ声と共に、コンバインがゆっくり加速する。


 ガタガタとした畦道を進み、斜面を降りる。目の前に広がるのは、金色の麦畑だ。


 金色の海にダイブするような、この瞬間が一番幸せだと感じている。


 コンバインの座席は人の背丈ほどの高さだから、どこまでも続く麦畑を見渡すことが出来る。健太はいつもよりも速度を落として進んでいった。コンバインの後には、刈り取られてた麦わらが横たわっていく。


 隣でアキと猛が息を飲んでいる。


 風が吹いた。


 麦の穂がさあっと揺れ動いていく。まるでさざ波のように。その風はやがてアキと猛の髪も揺らした。風は刈り取った麦穂の蒼い香りを孕んでいる。トラクターが向きを変えると、青空がくるりと回転し、遠方の防風林が視界に飛び込んでくる。


 麦畑は防風林まで続いていた。木立の上を、一羽のとんびが弧を描くように飛んでいる。横笛のような鳴き声が響き渡る。鳶は大きく翼を広げたまま青空を旋回し、木霊のように鳴声を響かせ続ける。 


 風は穏やかに吹き渡る。風が吹くたびに穂が揺れて、金色のさざ波が揺れ動く。


 アキと猛は、見開いた瞳を輝かせて目の前の風景に見入っている。


 やがてさあっと一つ強い風が吹き、アキの髪を後ろに靡かせた。露わになった頬に、一筋涙がこぼれ落ちる。その涙は、猛の頬にぽたりと落ちた。猛は驚いて母親を見上げる。


 「どうしたの?どこか痛いの?」

 問いかける猛に、アキは小さく首を横に振った。


 「……幸せなの。」

 アキが呟いた。


 「幸せはね、心の中にあるんだよ、猛。」


 アキはそう言って、猛をぎゅっと抱きしめた。健太の喉の奥が、つんと痛くなった。


 言いようのない熱い気持ちが胸に込み上げてくる。


 アキが幸せだと言ってくれた。この青空と、黄金色の大地を見て。己の中に込み上げる幸せに気付いてくれた。こんなに、嬉しいことはない。

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