ブライダルチェック
実家からの帰り道、涼真は不機嫌だった。いつもよりもレクサスの運転が荒い。無意識にシートベルトに手を添えて、横顔を盗み見る。サングラスから覗く眉間に珍しく縦の皺が寄っている。
「選りに選ってブライダルチェックをしろとは、ほんまに人を馬鹿にしてる。」
「ブライダルチェックって、結婚前の健康診断みたいなもんでしょ?良いことだと思うけどな。」
怒り心頭の涼真に向かって、美葉は首を傾げた。涼真は呆れたような視線をチラリと美葉に向けた。
「脳天気やなぁ。そこらのブライダルチェックやないで、遺伝子レベルで身体を調べて、欠陥があったら別の人にしろと言うつもりや。美葉は検品されるんやで。人を物扱いして、ほんまに腹が立つ。」
「そうかなぁ。結構当たり前のことかも。お母様の立場としては。」
涼真はまたむっと口を歪めた。
「じゃあ、あかん所あったからこの話は無かったことにって言われたら美葉はどうすんの?」
「どう、するかな。」
思わぬ問いかけに、美葉は逡巡する。自分は至って健康なので、大丈夫だとは思うが。ただ、母も健康そのものだったのにある日突然心筋梗塞で亡くなったので、遺伝子を調べれば何か見つかるのかも知れない。
「例えば、心臓に欠陥があるとか、癌にかかりやすいとか、身体の病気のことだったら、今から健康に気をつけて長生きできるように頑張るかな。……もし、不妊の可能性があったら、逆に涼真さんはどうするの?」
「そやな。」
涼真は眉をしかめてしばらく黙り込む。その顔を見て、美葉は生唾を飲み込んだ。思いつくまま口にしてしまったが、実はとてつもなくデリケートな事なのかも知れない。口に出してから気付いても、もう言葉を戻すことは出来なかった。
「どんなにお金を掛けても、不妊治療に挑む。それであかんとしたら……。」
涼真は口ごもった。だが瞬時に口元に笑みを浮かべる。いつもより雑な誤魔化されかただと感じた。涼真は慌てている。それだけ繊細な問題なのだ。
「美葉は若いし元気やから、そんな心配せんでええよ。」
そう言って、右ウインカーを出し交差点に進入する。交通量のある交差点での右折に集中するため、会話が途切れた。美葉は対向車のヘッドライトに照らされる横顔を見つめた。
もしも自分に子供が産まれなかったら、涼真は別の女性に子供を産ませることになるだろう。自分が妻の座を降りるのか、別の家族を持つことを容認するのか。その選択肢が自分にあるのか無いのかさえ、全くもって分からない。
突然目の前に突きつけられた現実を、嫌に冷静に受け止める自分に驚く。そうでもして、子孫を残し会社を次の世代に伝えていかなければならない。この世界で女は、一人の人間としての人権よりも子を産む為の機能を重要視されるのだ。
腹を括れ。
美葉は自分に言い聞かせた。
これから己が進む道なのだから、腹を括らなければならない。
信号機に緑の矢印が灯り、レクサスが緩やかにカーブを描いていく。
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