長い長い恋の話-1

 仁の思い人は綾という名だった。出会ったのは綾が17歳、仁がに22歳の時だ。


 綾は山岳部に入っていて、ニペソツ山という大雪山の中では上級の山への登山を試みた。仁はそのガイドを勤めることになった。彼らは男女四人のグループで高校山岳部のインターハイで三位に入賞するほど情熱的に登山に打ち込んでいた。


 高校生ながら彼らは計画的に登山を進めていた。一泊二日の登山は天候にも恵まれ、問題なく終えようとしていた。


 だが、下山途中で綾が足をくじいた。綾に合わせていては、夕刻までに下山することが出来ない。もう一泊伸ばして、全員でゆっくり下山するか、怪我をしていない高校生を先に行かして翌日綾と山を降りるか。その選択を迫られたとき、知人のガイドが通りかかった。仁は高校生達を知人に託し、綾と一晩山小屋に避難して翌日ゆっくり下山することにした。


 ショートカットの綾は快活な中に気品を兼ね備えた綺麗な女性だった。仁は綾に惹かれたが、勿論手を出すようなことはしなかった。ただ、別れ際に綾に連絡先を聞かれ、躊躇無く住所と電話番号を教えた。当時は、携帯電話など無い時代だ。


 3日後に、初めて手紙が来た。怪我をした自分を庇ってくれてありがとうという内容の手紙だった。それから、月に1度の頻度で手紙のやり取りを続けた。


 仁が山小屋を始めた年は、綾が大学を卒業する年でもあった。ある日突然、始めたばかりの山小屋に綾は現われ、1年だけ働かせてくれと言った。綾には既に結婚する相手が決まっていた。綾はそういう家のお嬢様だったのだ。綾は大学を卒業したら、1年だけ好きなようにさせて欲しいと親に頼み込み、何とか了承を得たのだという。その残りの一年を、大好きな山に関わりながら過ごしたいと言った。仁は手紙のやり取りの中で綾への想いを募らせていた。綾のためになるのならと、綾の頼みを受け入れた。


 山小屋を建てるために整地した地面から、自然に木の芽が芽吹いていた。どんな木に育つのか、綾は楽しみだと言った。


 1年は、あっという間に過ぎた。その間、お互いに惹かれ合っていることを感じながらも想いを確認することはしなかった。綾には決められた将来がある。だから自分は綾を汚してはいけないと、仁はそう自分に言い聞かせていた。


 だが、綾はそんなことを求めていなかった。


 「私を奪って欲しい。」


 旅立つ前夜に、綾に言われた。親が敷いたレールから、自分の身を奪って欲しい。側に置いて欲しい。このままずっと。


 仁は、綾の気持ちを受け入れなかった。


 小さな山小屋の主に、良家のお嬢さんを幸せにすることなど出来ない。そう、尻込みをしてしまったのだ。


 綾は、親との約束通り1年で故郷に帰り、決められた相手と結婚した。

 綾との関係は、これで終わるはずだった。


 しかし、18年後の秋、綾が山荘に現われた。


 一人娘が修学旅行でいない時期に、夫も海外出張に行くことになった。それなら自分も、湯治でもしようかと思ったのだそうだ。


 綾は時を経てもなお、美しかった。


 紅葉目当ての登山客で賑わう時期だが、綾以外の客は皆キャンセルをした。珍しく台風が大型のまま北海道を直撃する。北海道の中央を通るルートだった。当然、登山など出来るはずが無い。湯治目的の綾と、仁だけが山小屋にいた。


 台風は巨大な雨雲を伴っていた。激しい雨と風の中、山小屋は停電した。二人は蝋燭を灯し、身を寄せ合って不安を分かち合った。共に過ごした日々の思い出話や、それから過ぎたそれぞれの時間を話す内に夜が更けていく。


 綾が、言った。


 「あなたを愛する気持ちはずっと変わらないままだった。」

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