銀泥

 大雪山の登山口に、三角屋根の山荘がある。その山荘は登山客の出発拠点となり、時には終着点となる。


 山小屋は森の中にある。森を開拓して建てたのだろうか。白樺や水楢など様々な樹木に囲まれている。山荘の左手に、華奢な幹の木が群生していた。さぁっと風が吹くと、丸い形の木の葉がキラキラと白く瞬く。


 保志は思わず足を止めた。


 「綺麗やな。葉っぱが光ってるんか?」


 正人が目を細めてその木を見上げた。記憶をたどるように見つめてから、ああ、と息を吐く。


 「銀泥ですね。木の葉の裏が白い産毛で覆われているんです。だから、風が吹いて葉が裏返ったときに光を反射して光っているように見えるんです。あいの里の方にもこの木が生えています。」

 「そうやったかなぁ。」

 隣町故に見慣れてしまった景色に、こんなに美しい木が生えていた記憶が無い。


 「学名はウラジロハコヤナギ。ヤナギ科の樹木です。こうして群生していると、本当に美しいですね。」

 うっとりとした視線を正人は銀泥に向けた。銀泥の葉は青空に光を放つように風にそよいでいる。


 「今日は。こんな山奥までようこそいらっしゃいました。」


 山荘のドアが開き、仁が顔を出した。先日の出で立ちと変わらぬ服装に、デニムのエプロンをしている。


 「お言葉に甘えて、来てしまいました。今日はどうぞよろしくお願いいたします。」

 正人が丁寧すぎると思うほど深く頭を下げると、仁は恐縮したように後頭部をさする。

 「僕の方こそ、どうぞよろしくお願いいたします。」


***


 案内された食堂にはテーブルが四つ並んでいた。人気は無い。今日は平日で泊まり客はいないそうだ。昨夜泊まった客は既に早朝登山に旅立って行ったらしい。


 先日のやり取りでは、深い話は出来なかった。だが、一度山荘に来て欲しいという申し出があり、正人も実際に仏壇を置く場所を見ておきたいと二つ返事で承諾した。その旅に保志が同行したのはやはり、「死」というフレーズに正人を一人で向かわせたくなかったからだ。


 仁は樹々で正人がしたように、手動のコーヒーミルで豆を挽いた。ゆっくりと時間を掛けて珈琲を淹れながら、山荘の話をした。


 山荘を始めたのは二十七歳の頃だという。元々山岳ガイドの仕事をしていたが、登山客を出迎えるような場所を作りたくなったらしい。山荘は二人用の和室が4室。最大八人の客を受け入れる。ログハウスの全てが手作りで、石造りの露天風呂が自慢らしい。


 仁は自分の事を、「半分仙人みたいなもの」と自嘲した。


 ログハウスを手作りしたと言う下りから、正人は仁に敬慕の眼差しを向けている。


 仁が淹れたコーヒーはイタリアンローストの豆で、浅煎りを好む正人の珈琲よりも苦かった。しかし正人はその珈琲を、「美味しい。」とお世辞抜きに賞賛している。


 食堂は吹き抜けになっており、壁は積み上げた丸太がむき出しになっている。テーブルも椅子も手作りらしい。テーブルは一枚板を貼り合わせた個性的な作りになっている。物作りは好きだが細部にはこだわらないタイプのようだ。


 仁は、おかきが入っていたと思われる缶箱と、30㎝四方の段ボール箱をテーブルの上に置いた。


 「こちらが、彼女が持っていた僕からの手紙で、こちらが僕が持っていた彼女からの手紙です。」

 薄い空き缶に比べて、女性からの手紙は三倍ほどの量がある。まるで男と女の口数をそのまま手紙にしたようだ。


 「遠距離恋愛をされていたのですか?」

 率直な正人の問いかけに、仁は困ったように口を歪めた。


 「……そんな関係にも、成れなかった。そういう関係です。」

 「つまり、好きや嫌いやという事は言い合わんかったっちゅうことか?」

 思わず口を挟んでしまう。先日も思ったが、仁の言葉は慎重すぎてじれったいと思っていたのだ。仁はますます困った顔をし、苦笑いを浮かべた。


 「お互いに好きだということは、分かっていました。それなりの関係をもった事もあります。けれど、恋人や夫婦にはならなかった。そういう関係です。」


 そんな関係の人の仏壇を作る?おかしくないか?そう言いかけて何とか思いとどまる。この人は正人の客だ。自分が口を挟むべきでは無い。


 「それでも、お互いにとても大事な存在で居続けたのでしょうね。だからずっと、お手紙を交換し続けたのでしょう?」

 「ええ……。ええ、そうです。」


 仁は正人の言葉に驚いた顔をしてから、自分でその事を再確認するように頷いた。


 「ずっと大事な人だと思っていました。彼女も、同じ気持ちでいてくれたと先日知りました。」

 仁はそう言って、窓の外で揺れる銀泥の葉に目を向けた。

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