第十四章 珍客

お仏壇ですか-1

 涼真が結婚の挨拶に来たというニュースは、翌日には保志の耳に入った。


 ――涼真は、かなり焦っとる。

 あまりの展開の速さに、保志はそう確信した。


 美葉を確実に手中に収めるため、心の隙に入り込み、自身の寂しい境遇を見せつけて情を動かす。同情さえ買えば、正人を失って不安定になった美葉を落とすのは赤子の首を捻るよりも簡単だ。


 頭の良い美葉は、会社の社長という立場の難しさを察し、その男との交際が普通の男相手とは違うことを理解するだろう。だから、結婚という関係に進むことを打診されれば、先延ばしに出来ないはずだ。涼真はそう美葉の心が動くように誘導し、できるだけ早く確固たる関係を成立させようとしている。


 そうせねばならないほど、美葉の心は定まっていないのだろう。


 ならばまだ、可能性はある。

 そう思いながら保志は樹々のドアを開けた。


 どかどかとわざと大きな足音を立てて歩き、健太の椅子に座る。狙い通りに、正人が工房のドアを開けて出てきた。


 「よう正人。珈琲入れてんか。」

 「うちはセルフサービスでお願いしていますよ。」

 そう言いつつも正人は笑顔を見せてキッチンへ向かう。


 ――奇妙だ。


 美葉と別れてからの正人は、奇妙だ。


 正人から別れると決めたこともおかしいし、理由がはっきりないことも腑に落ちない。それ以上に、正人の様子事態が奇妙だ。


 あまりにも、以前と変わらない。それなのに、無性に不安をかき立てる。


 ある日突然、消えてしまうのでは無いか。そんな思考が湧いてくる。その不安は強烈に保志の胸を締め付けるのだ。


 ミルに豆を入れる音が聞こえる。


 「豆をね、思い切って買い換えたんですよ。まだ残っているから勿体ないと思ったんですけど、どうしても酸化した匂いが気になって。やっぱり、お買い物してもらえないとしても、お客さんが来てくれたほうがいいですね。」

 「そやな。開封して1ヶ月以内には、飲みきりたいからな。客が来る言うことは、それだけ口コミで広がる可能性があるっちゅうことや。バイト雇ってカフェにしたらええのに。」

 「人件費なんて払えませんよ。」

 たわいの無い会話を交わす。表情も、声の調子も変わらない。でも、何かが大きく変わっている。


 口元に浮かべる淡い笑顔は、機嫌の良い証。会話しながらも指先はコーヒー豆の振動を捉えている。回転のスピードを豆の状態に合わせて変えているはずだ。IHヒーターで湯を沸かす間に、豆を挽く。一連の動作は正人の中で手続き記憶となり、間違えることは無い。それなのにコーヒーを淹れている正人から視線を離すことが出来無い。


 正人に視線を向けていると、カラランと鮮やかな音を立て、古材を貼り合わせたドアが開いた。ドアの隙間から、白髪の男が現われた。

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