節子ばあちゃんの醤油

 味噌を作る人は沢山いるが、醤油を作る人は節子くらいしか知らない。波子からざっと工程を聞き、大変な作業に健太は舌を巻いた。


 煮た大豆に醤油用の麹と強力粉を混ぜ、発酵させる。この時の温度管理や時間が大変なのだ。温度が高すぎると納豆菌が繁殖してしまう。この工程を乗り切れば、塩水を併せて諸味を造り、放置しておけば良い。通常発酵期間は一年。三年は少し長すぎるかもと波子は心配していた。


 バケツにさらしを敷き、麹を乗せると自重で液体が分離する。液体が出てこなくなっても諸味を攪拌するとまた液体がしみ出してくる。そうやって二日程掛けて液体と諸味を分離させたが、諸味にはまだ水分が残っていた。


 悠人が倉庫に眠っていた釜戸の木蓋を持ってきた。野々村家には昔土間があり、そこに釜戸があったのだ。釜戸の蓋は取って部分が鍋用の木蓋よりも高い。


 大きな桶に釜戸の蓋を逆さまに置くと、取っ手が足となり、蓋が平らな台となる。台の上にさらしに巻いた諸味を置く。これで諸味を絞っても、台の上の諸味に水分が戻ることは無い。諸味に重りの加重が均等に掛かるよう木の鍋蓋を乗せる。そして木蓋にビニールを被せた。


 「よし、猛、出番だ!」


 健太は猛の身体を持ち上げ、木蓋の真ん中に立たせた。諸味は柔らかく、木蓋が斜めに傾く。倒れないように健太が猛の身体を支えてやった。猛は楽しそうに声を立てて笑う。木蓋の上に猛という重りがのせられ、圧縮された諸味から赤褐色の液体が染み出てくる。


 「おもしろいよ。桃ちゃんもやる?」

 誘われた桃花は、しかめ面で首を横に振った。


 「桃花が乗ったら、完璧に搾り取れるかもな。」


 デリカシーの無い一言を吐いた健太を、桃花はムッと睨み付けた。その様子を悠人と波子が微笑ましいという表情で見つめている。アキは猛が転ばないか心配なようだが、じわじわと染み出てくる醤油の様子も気になるようだ。


 「波子さん、醤油絞れたら完成?」

 悠人が問うと、波子は悪戯っぽく笑う。


 「そんな簡単にはいかないのよ。火入れっていう作業をしないとね。絞った醤油の発酵を止めて香り付けをするの。その後、不純物を沈殿させて上澄みだけを取り除けば自家製醤油の完成。」


 それを聞いたアキが溜息をつく。


 「醤油って、作るの大変なんですね。」

 「大変だけどね、自家製の醤油はなんとも言えず美味しいの。それにね、おまけも付いてるしね。」


 波子が笑顔で人差し指を立てる。アキはその人差し指に視線を向けた。


 「おまけ?」

 「そ。醤油を絞った諸味で漬物を作ると美味しいんだよー。もうすぐ胡瓜が取れるから、それを漬けてごらん。絶品だよ。」

 「それは、美味しそう。」


 アキはにっこりと微笑んだ。今まで見た中で一番明るい笑顔だ。エクボもくっきりと浮んでいる。


 

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