第十三章 節子ばあちゃんの元で

安産の心得-1

 佳音と錬は、直美の助産院を訪れていた。そこは住宅街にある一軒家で、軒先に「安藤助産院」と書いた木彫りの看板が無ければ、助産院とは分からないだろう。一階は診察室や分娩室などの診療を行なうスペースで、二階は出産を終えた親子が入院する和室がある。今日は二組の親子がそこに入院しているらしい。


 明るい日差しが差し込む応接間のような診察室で、エプロン姿の直美が二人に向かいあっている。


 「錬が自宅出産に不安を感じるのは、よく分かる。この前、つい佳音に自宅出産を勧めるようなことを言ってしまったけど、メリットとリスクをしっかりと理解した上で二人で納得いくまで話し合いをしなければね。」


 前回会った時とは違い、仕事モードの直美の口調は静かで落ち着いていた。錬も佳音も、しっかりと頷く。


 「日本は、世界的に見ても出産によってお母さんや赤ちゃんが死んでしまう確率は少ないの。それに、赤ちゃんが生まれるときに低酸素脳症になって障害が残ってしまう脳性麻痺も、正常分娩では少なくなった。それは、何と言っても医学の進歩によるものよ。」


 直美は錬にもわかりやすいよう、言葉を選んで話してくれた。


 「だから、安全を優先にするのなら、産婦人科で出産するのが一番良いの。それは、佳音も分かっているわね?」


 佳音は頷いた。直美はにこりと笑って頷いてから言葉を続ける。


 「それでも、自宅出産を選ぶ人がいるのは、何故なのか。……その理由は、人それぞれで何一つ一概には言えないわ。だから、自宅出産のメリットをまず言います。」


 直美は助産院のパンフレットを二人に渡した。錬と佳音は、三つ折りのパンフレットに目を落とす。その裏表紙には、自宅出産のメリットとリスクが箇条書きになっていた。


 「自宅出産のメリットとしてあげられるのは、慣れた場所でリラックスして出産できること。そして、家族皆で赤ちゃんを迎えることが出来ること。これにつきるわ。佳音は何故、自宅出産をしたいと思ったの?」


 問われた事への答えは、佳音の胸に明確にあった。この数日、自分自身でも文献を読んで調べ、一時の熱では無く心から実家で出産したいと気持ちを固めていた。


 「私は、家族が好きだから、皆に見守って欲しい。錬にも、お母さんにも、節子ばあちゃんにも。だから、リスクを理解した上で自宅出産を望みます。でも、錬に納得して貰えなければ、自宅出産を選ぶことは出来ないとも思っています。」


 直美は、微笑みを浮かべて佳音を見つめ、母親のような顔で頷いた。


 「佳音は、自宅出産のリスクもちゃんと理解しているようだから、錬に説明するわね。


 私たちの助産院のスタッフは、医療行為が出来ません。だから、扱えるのは健康な妊婦さんの自然分娩に限ります。妊婦さんに高血圧や糖尿病などの合併症があっても、逆子などの赤ちゃん側のリスクがあってもこちらで出産をして頂くことは出来ません。


 私たちは、あくまで妊婦さんが自然に出産をするお手伝いしか出来ません。今言ったことは、理解できる?」


 「は、はい。」


 居住まいを正して、錬が頷く。よろしい、と言うように頷いて直美が続ける。


 「ですから、出産時にトラブルが起ったら、直ちに提携病院に救急車で搬送します。」

 「提携している病院があるんですね。」

 「あります。」


 直美がしっかりと頷くと、錬は安心したようだった。ただし、と直美は厳しい表情で続けた。


 「病院ですぐに受けられる処置が、自宅出産だと受けるまでに時間が掛かります。救急車で搬送して、最短で三十分程度。その三十分で赤ちゃんに障害が残るかも知れないし、最悪命を失うかも知れません。」

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