真実を知る-2

 スマートフォンを持つ手が、震えてきた。


 ――もう一度、話し合えば振り出しに戻れるの?


 何に向けたのか分からない問いかけは、美葉の喉元を締め付けた。

 正人の背中が、脳裏に浮ぶ。


 ――ではなぜ、正人は拒絶したのだろう……?


 正人の背中は氷のように冷たく、どうにかして振り向かせようとした心を頑なに拒んでいた。何が原因で正人に拒絶されたのか、これで本当に見当が付かなくなった。突然現われた妻子のことが原因で無いのなら、純粋に正人に嫌われたということだ。これまで積み重ねてきた月日の中で、正人を不快にさせるものがあったのだ。別れの言葉で冷静になり、一緒に歩むことが出来ないと正人は判断したのだ。


 そういう、事だ。


 硬く目を閉じて、息を吐き出す。


鼻腔に、甘い洋酒の香りが蘇り、狼狽える。湿った涼真の体温と、頼りない声と、顔にへばりついた笑顔。息苦しくなり、もう一度大きく息を吐く。


――歩みだした道がある。


 目を開けると、すっと肩に力を入れた。正人が自分との未来を共に歩めないと判断した。そこにすがる事はもう、できない。


 「健太、私、結婚するんだよ。正人さんのことは、もう終わったこと。今更話し合うとか、無いかな。」


 努めて明るい声で言う。


 「美葉……。そんなに簡単に終わりにできんのか?自分の気持ちに嘘、付くなよ。」

 戸惑うような健太の声が聞こえる。美葉は見えない相手に笑みを作った。


 「教えてくれてありがとう。里帰りした時なんかに聞いたら、やっぱ流石にいい気はしなかったわ。今度正人さんにさ、早くいい人見付けなよって言っといて。」


 そう言って、電話を切った。


 『…… し、知らなかったんですよ。こ、子供が居た、なんて……。』


 誰とも繋がっていない黒い画面から、正人の声が聞こえる気がした。


 『ごめんなさい、美葉さん。彼女のことは、何も言えないんです。』


 正人は、そう言った。


 自分の子供をほったらかしにしたこと。子供の存在を知りながら、知らなかったと嘘をついたこと。彼女との関係について、話してくれなかったこと。


 あの時の怒りの焦点はこの三つだったように思う。


 正人は何一つ嘘をつかず、誤魔化しもしていなかった。そもそも、正人に子供はいなかった。妻との関係についても誤魔化しはせず、言えないことは言えないのだと正直に答えた。


 あの電話で、正人は精一杯誠実に自分に対峙してくれていた。それなのに、怒りにまかせて別れを口にしてしまった。


 両手で顔を覆うと、瞼が暗闇に覆われた。身体ごとその闇に落ちていくような頼りない浮遊感に支配されていく。喉の奥から、嗚咽が沸き起こり唇から溢れていく。


 あの時、正人の言葉を信じ、冷静にその奥の真実を聞き取ろうとしたら、別れることにならなかったのでは無いだろうか。


 もう一度、向き合った時には、正人は心を閉ざしてしまっていた。


 『もう一回、話し合うとか出来ないのかい?』


 健太の声が心を揺さぶる。だがもう、涼真の寂しさに寄り添い、満たす人生を選択してしまった。涼真は正人を想う自分ごと、受け止めてくれると言った。その心を、踏みにじるわけには行かない。


***


 出迎えた美葉の目が、赤く腫れている。見られたくないのか、美葉は顔をそらしたままスーツの上着を受け取った。


 「なんか、あった?」

 「え?なんで?」


 スーツを仕舞う背中から、明るい声が応じる。明らかに不自然な、作為的な明るさだ。ざくざくと切り裂かれるような感触を胸に感じ、肩に力を入れる。


 美葉の心を揺らすような何かが起った。恐らく、故郷で何か事件があったのだ。ただでさえ最近あの男の顔を見たばかりだ。不安定になっている心を揺さぶられ、あの男と接点を持つようなことになったら、美葉の心に迷いが生まれてしまう。


 美葉の気持ちを、こちらに向けなければ。


 涼真はキッチンに向かう美葉を視界の端におさめながら逡巡する。


 ――「役目」を与えれば良い。


 答えはすぐに閃いた。そうだ、役割意識の強い彼女に、果たすべき役目を与えれば良い。だが、すぐに浮んだ計画に苦い思いが広がる。


 いずれは通るべき関所なのだが、気が向かずに後回しにしていた。しかし、そろそろ向き合わねばなるまい。彼女の気持ちをこちらに向けるにも、丁度良いタスクではないだろうか。


 涼真は肩で息を吐き、笑顔を作って美葉に向けた。

 「美葉、今度おおて欲しい人がおるねん。」

 コンロに向かっていた美葉がこちらに顔を向け、首を傾けた。


 「僕の母に、美葉を紹介したいねん。」

 「涼真さんのお母さん?」

 美葉の瞳が大きく見開かれていく。

 

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