真実を知る-1
夕立が上がった空に、虹の断片が浮んでいる。
建物に隠れているわけでもなく空に中途半端に浮んだ七色は、とても頼りなく見えた。
『僕、虹を端から端まで全部見たのは始めてですよ!』
不意に正人の声が耳に蘇った。思わず閉じた瞼の裏に、ねずみ色の空に架かる虹が蘇る。鮮やかな虹の上に、半透明の虹が寄り添うように架かっていた。
『消えかけの真ん中部分しか見たこと無いです。』
その虹を見ながらしきりに感心する正人に、端から端まで架かる虹を見たことないなんて嘘だと言った。あの頃は当別の空しか見たことがなかったから、虹が出ればその全貌が見えるに決まっていると思っていた。消えかけの虹しか発見できないなんて、よっぽど鈍臭い人なのだろうとさえ思った。
しかし、正人が見ていたのは都会の空ばかりだ。今思えば、部分的な虹しか見たことが無いのは当然なのだ。
そこまで考えて、美葉は唇を噛みしめた。
ふと目にした風景に、何気なく取った行動に、正人の思い出が蘇る。また今こうして、涼真を待つ時間の隙間に正人の思い出が現われた。
子供の手を取って歩いていたな。
先日出会った正人の姿が鮮明に浮ぶ。
我が子に優しく接する正人がそこにいた。自分と別れ、正人は父として生きているのだろうか。別れた妻とも頻繁に会っているのだろうか。
掻き毟るような痛みを感じる。
自分を遠ざけた理由は定かでは無い。もしかしたら目の前に現われた元妻と、まだ幼い我が子に心を奪われたのかも知れない。明確にそうだと言わなかったのは、自分を傷つけないための配慮なのだろうか。だったらそんな配慮はいらない。真実を知った方がよっぽど心の整理が付いたはずだ。
その時、スマートフォンが着信を告げた。健太からだ。珍しいと思いながら、通話ボタンを押す。
「久しぶりだな、美葉。」
その声は沈んでいるように思えた。健太には似つかわしくない声だ。
「うん、久しぶり。元気にしてた?」
「ああ。」
固い声で応じて、口ごもる。勢いの無い健太も、沈んでいる健太も珍しい。
数秒間があってから、健太の不明瞭な声が聞こえた。
「言うかどうか、迷ったんだけど、後から聞いたら嫌な気持ちになるかもと思ってさ……。」
「何よ、勿体ぶって。」
えらく遠回しな前置きをいぶかしがりながらも、明るく応じる。電話の向こうで健太は一つ息を吐いた。
「猛は、正人の子供じゃ無かったさ。」
健太の声は小さくくぐもっていて、聞き間違えたのでは無いかと思った。だが、聞き返すことはせず言葉の意味を頭の中で咀嚼する。
スケッチブックに描かれた、妊婦のアキを思い出す。あの腹の子は、猛では無い?
「正人とアキの子供は、産まれなかった。流産したんだ。」
「流産……。」
描かれていた腹部に思い出の焦点が集まる。ふっくらと膨らんだお腹には、確かに命が宿っていた。でもその命は、この世に産まれてくることは無かった。健太の言葉から得た解釈を頭に送りつけても、理解しようとするのを拒否するように跳ね返される。
「……この前涼真さんとお父さんに会いに行ったの。その時、正人さんを見かけた。……子供と手を繋いで歩いていたよ?」
父の責務を果たそうとする姿だと思ったのに、そうではなかった?頭の中が混乱していく。
しばらく電話口で考え込んでいるようだった健太が、口を開いた。
「正人は、工房にこもりっきりで俺らとも滅多に会わないんだ。アキや猛と接点を持つことはまずない。それは、多分本当に一回きりの事だよ。」
美葉は、固く目を閉じた。
元の妻子を選んだから、自分と別れたわけでは無い。そういうことなのだろうか?
「もう一回、話し合うとか出来ないのかい?正人からすれば、男を作って出て行った女が、浮気相手との子供を連れて勝手にやって来たってことになる。正人に非があるとすれば結婚してた過去を伏せてた事だけだ。それも、わざとじゃなくて単に忘れていただけだろ?そんなことで、お前ら二人が別れる必要、あるのかい?」
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