小さな米-3
「この歌、節子ばあちゃんもよく歌ってたな。」
悠人が健太に向かって言うので、健太は思考を振り払い笑顔で応じた。
「そうそう。俺らが子供の頃は節子ばあちゃんはいろんな歌を歌ってたな。それが聞きたくて、ひっついて回ってたよな。」
畑仕事をしながら蕩々と歌う声が心地よくて、近所の子供達はよく節子の歌を聴きに集まった。小さい子供は童歌で遊んで貰えたが、小学生は畑仕事の手伝いをさせられる。そうやって自然に野菜の育て方も学校では習わない美しい歌も学んだ。
「懐かしいなあ、節子ばあちゃん。まだ実感湧かないな。今でも節子ばあちゃんの畑に行ったら、トマトの世話をしてる気がするよ。」
「そうだよなぁ……。」
しみじみと話す悠人に、健太の胸がきゅっと締まり節子の笑顔を鮮明に思い出した。熱い日差しと、摘んだわき芽の匂い、節子の歌声。ふと思い出したメロディーを奏でる。曲名も歌詞も定かではないが。
しばらく手元を彷徨ってから、やっと何の歌だったのか思い出した。
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
「あー、これも懐かしいなぁ。」
悠人が溜息交じりにそう言った。健太はギターを抱えたまま、アキに視線を移し、はっと手を止めた。
アキは、口を少し開いて、遠くを見つめていた。
その瞳から、ポロリと一粒、涙が落ちる。
「……アキ?」
嫌な思い出に触れてしまったのだろうか。不安を感じて名を呼ぶと、アキは我に返ったように健太に視線を向けた。そこでやっと自分の涙に気付き、慌てて手の甲で拭った。
アキは、熱い息を吐き出した。
「……思い出しました。」
ぽつりと呟く。
「何を、思い出したんだい?」
壊れ物に触れるような気持ちで問いかけると、アキは瞳を伏せた。その口元が、僅かに綻ぶ。
「お婆ちゃんがいたんです。私にも、歌が上手なお婆ちゃんが。」
愛おしいものを見つめるような眼差しを、なにもない場所に向ける。
「私、昔のこと、あまり覚えていなくて。きっと、嫌なことばっかりだから、わざと忘れようとしたんだと思っていました。でも、逆だったのかも……。」
健太は、アキの頬のエクボを見つめた。アキの小さく透明な声が言葉を続ける。
「私のお父さんは農家の人で、お婆ちゃんも一緒に暮らしていました。私はお婆ちゃんが大好きで、いつも側にくっついていました。お婆ちゃんは優しくて、沢山歌を教えてくれました。」
宝物を見つめるように、目を細める。
アキを大切に思う人が、この世に存在していた。健太は安堵し、アキがそれを思い出せたことを嬉しく思った。自分を大切に思ってくれる存在は、自分を強くしてくれる。アキのおばあさんの思い出が、アキの支えになれば良い。そう、心から願い、浜辺の歌をつま弾いていく。
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