土仏-4

 思い切り大きな声でそう言うと、心にどっかりと蓋をしていたものが軽くなった。出来るだけ口角を上げてアキに微笑みかける。


 「誰にだってあるんだよ!だから、そんなに気にすんなって!」


 アキは困惑した顔を健太に向け、再びテーブルに視線を落とす。緩やかに組んだ指先が震えている。


 「だって、私がいなかったら、正人は彼女と別れなかった……。」

 「関係ねぇよ、そんなの。何があったとしても、二人で向き合って解決できなきゃずっと一緒にいるなんて出来ねぇよ。正人は、何故か一方的に美葉を遠ざけたんだ。それは、アキには関係ないことだ。」


 肯定も否定もせず、アキは身体を小さく丸めた。指先の震えは収まるどころか腕全体に広がって行く。押さえようとして、アキは自分の腕を抱いて踞った。


確かにアキが来なければ、今頃正人と美葉は仲良く樹々を再出発させ穏やかな生活を始めていただろう。


 そしたら、アキと猛はどうなっていた?


 背中がぞっと冷たくなる。もしもテレビ番組の収録先に選ばれていなかったら。放送されていたとして、アキが目にするという偶然が起らなかったら。


アキはここに正人がいることを知らず、公園で夜を明かした翌日に、我が子を連れて石狩川に身を投げていたかも知れなかった。

 

 何かとトラブルの種になった番組収録だったが、始めて呼んで良かったと思えた。蜘蛛の糸を辿るようにここにたどり着いた二人を、守ってやらなければと改めて思う。


 「……もう、正人と美葉のことを気にするのは、やめな。」


 健太は身体をかがめて踞るアキをのぞき込んだ。アキは罪人のように視線を避ける。その姿に胸が痛み、大丈夫だと抱きしめたい衝動に駆られる。健太は拳を握って胸に去来した衝動を抑え、身体を起こす。


無理に視線を合わそうとしても、アキを追い詰めるだけだろう。


 「俺は、アキと猛がここにやって来て良かったと思ってる。二人が元気な姿で今目の前にいることが、俺にとっては何よりも大切なことなんだ。」


 え。とアキの唇から小さな声が漏れた。睫が震えながら揺れて上目遣いの視線が健太の腕辺りを彷徨う。健太はアキの前髪を見つめた。さらさらと癖のない、明るい色の髪だ。その下にある白い頬に、ずっとエクボを浮かべて笑っていて欲しい。胸がぎゅっと痛み、涙が溢れそうになって慌ててそっぽを向く。


 「だから……。もう自分を責めないで欲しい。堂々と、ここで胸を張って生きていって欲しい。二人のことは、俺が全力で守るから。」


 アキがハッと息をついて顔を上げ、視線がぶつかる。瞬時にアキは頬を赤く染めて俯いた。健太は自分の言葉が限りなく愛の告白に近いと言うことに気付き、狼狽えた。アキはどう捉えただろう。気になってチラリと盗み見ると、俯いた横顔に涙が一つ筋を引いていた。


 「ありがとうございます……。」

 震える唇が、小さく動いた。


 健太はゴクリと唾を飲み込んだ。曖昧な返答からはアキが健太の言葉をどう捉えたのか計り知れない。出来れば先走ってしまった言葉を、ただの親切心だと受け取って欲しかった。アキはまだ恋愛に心を動かす余裕はないはずだ。そんなアキに気持ちを押しつけるようなことをしてはいけない。


 「アキが来てくれてから、悠兄も波子さんも随分楽になったって言ってたしさ。元気な猛を見てたら、俺も元気になれるしさ。」

 ガハハ、とわざと大きな笑い声を上げる。やっとアキは顔をこちらに向けた。一瞬瞳が揺れたがすぐに人差し指で目尻を拭い、頭を下げる。


 「本当に、ありがとうございます。いつかご恩返しできるように、がんばります。」


 アキの口から前向きな言葉が出てきたことに安堵しつつ、アキと自分は主従の関係なのだと改めて感じて寂しくなった。


 

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