土仏-1

 健太は自分の農場の仕事を終え、悠人の家に向かっていた。北海道にしては気温が高く、日が傾きかけてもまだ風は熱を持っている。窓を開けてその風を通せば、汗を乾かし身体の熱を冷ましてくれる。心地よさに鼻歌が飛び出す。今夜は悠人の家でバーベキューをする予定だ。そこへギターを持っていこうと思いついた。


 悠人の家に向かう途中には、一つだけ信号がある。昔は小学校前の交差点にあったものを、道々どうどうが交わる交差点に移設したものだ。そこに、信号待ちをしている小さな人影があった。


 猛だ。


 猛は段ボール箱を抱えていた。それほど大きくはないが、猛の視界を遮っている。このまま、母親の所に向かうのだろう。雪解け水でいたんだアスファルトには無数の窪みがある。この状態で歩いて行くと九割五分の確立で転んでしまうだろう。健太は猛に声を掛け、ひょいと身体を抱えて軽トラックの助手席に乗せた。


 「ありがとうございます。」


 無垢な瞳を向ける猛にどういたしましてと笑いかけながら、先日の錬夫婦との会話を思い出していた。


 佳音は、正人の目を盗んでアキの遺書を持ってきてしまったらしい。それは、ほんの一瞬湧いた出来心で罪悪感を感じているようだが、それ以上に中身を読んで困惑していた。


 健太もその文面を読んだ。あまり上手で無い文字で綴られた、短い文章。その裏側の苦悩に心を傾けしんみりしていたところ、錬に頭をはたかれた。


 『ちっとは頭使えや。』

 そう言ってあの夫婦は白ーい視線を向けてきた。


 佳音の解説によると、正人とアキが離婚をしたのは妊娠六ヶ月以降で出産までの間。浮気相手は当然アキが出産を間近に控えている事を知っていた。それなのに、アキと出産前に別れている。


 最長4ヶ月の間に出産間近の女に起こった男女のいざこざ。余りにも濃密すぎないだろうかと違和感を口にした。言われてみれば、そうかと思う。

 

 『本当に、スケッチブックに描かれていたのはあの人なの?』


 佳音はもしかしたら別の人物なのではないかと勘ぐっていた。健太の記憶は曖昧だが、美葉も同じ解釈だった。間違いなくアキだと思ったし、その女性は妊婦だった。


 アキの浮気相手の男は、もしかしたらろくでもない男だったのかも知れない。アキはいい加減な男に振り回されてしまったのではないだろうか。その男がいなければ、アキと正人と猛の三人は今でも家族として暮らしているのでは無いか。


 そんな物思いに耽っていたら、あっという間に目的地に着いた。アキは森山家にいるはずだから、そちらの玄関前に車を止めた。箱を持って降りようとする猛をすんでの所で制止する。


 「これ、俺が持ってやるよ。」

 健太が言うと、猛はにっこりと嬉しそうに笑い、「ありがとうございます。」といった。


 車を降りると猛はたっと駆け出し、勢いよく玄関を開ける。そんなときでもお邪魔しますの挨拶や、靴を揃えるのを忘れないのは感心する。でもその後は、思い切り走って台所に直行した。


 台所には波子とアキがいて、今夜予定しているバーベキューの準備をしていた。


 「波子さん、オーブンかして下さい。」

 「おやおや、オーブンかい?いいけど、何を焼くの?」

 「これです!」


 猛は背伸びをして、健太から段ボールを受け取った。丸くて茶色いものが二つ入っている。猛は段ボールをテーブルの上に置き、両手でそっと二つのうちの一つを持ち上げた。


 手の平ほどの、丸い人形だった。


 「お母さん!スズつくったの!たいいくかんのお父さんといっしょに!」


 誇らしげに母に向かってその人形を捧げる。アキの顔が見る見る強ばっていく。猛は嬉しそうに波子の方を向いた。


 「ひゃくはちじゅうどでさんじゅっぷんです!」


 恐らく、正人に繰り返し教えて貰ったであろう言葉を、棒読みで伝える。


 「分かったよ。」

 波子は微笑み、猛の頭をひとつ撫でてからオーブンを操作した。


 ふらふらとアキが立ち上がり、猛の前に跪いた。両手をその小さな肩に乗せる。青ざめた頬を、はらりとおかっぱの髪が隠した。


 「……猛。体育館にいる人は、正人さん。お父さんじゃ無いよ。ちゃんと、名前を呼んでね。」

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