社長の恋人-2


 そんな事を考えていたら、玄関のドアが開く音がした。


 「遅くなってしもうた。もう、お腹ぺこぺこや。」

 鞄を美葉に渡しながら涼真はにっこりと笑う。その顔には疲労が透けていた。リビングでスーツの上着を受け取りハンガーに掛ける。


 「忙しかったの?疲れてそう。先にお風呂に入る?」


 「そんな、新妻みたいなこと言うて。」

 涼真はネクタイを緩めながら微笑む。本当だ、「あなた、お風呂にする?ご飯にする?」って昭和の夫婦の会話みたいだ。美葉は思わず顔を赤らめる。その額を涼真が突いた。


 「赤くなって、可愛いなぁ。美葉を先に食べたくなる。」

 「お腹空いてんなら先にご飯にしようよ。」


 照れくさくて、素っ気なく言った。キッチンに向かう美葉の背中にくっくと喉を鳴らす涼真の声が聞こえる。


 鮭としめじのみぞれ煮とほうれん草と昆布の和え物、金平牛蒡、小芋と小松菜が入った白味噌仕立ての味噌汁。


涼真は和食の、とりわけ魚料理が好きだ。

美葉は京都で食べる魚はどれも泥臭い感じがして好きでは無いが、出来るだけ鮮度が良いものを買い求め、調理法を工夫して出している。


涼真とて、数年は北海道で暮らしていたのだから美葉がまずいと思うものはまずいはずだ。


涼真の食事を作るときは、自分のためには絶対に行かない高級志向のスーパーへ行く。値段設定の違いに最初は居たたまれないような気持ちになったが、慣れとは恐ろしいものだ。もうどこの売り場に何があるのかすっかり頭に入ってしまった。


 鮭を一切れ口に入れると、涼真は「おいしいなぁ。」としみじみとそう言った。


 涼真は必ず美味しいというが、そのニュアンスで心底そう思っているのか多少なりとも難点があるのか分かる。しみじみ美味しいと言うときは文句なく美味しいと思っている。そう言われると、美葉も嬉しい。


 「夕方突然中国人から町屋を宿泊施設としてリノベーションしたいと相談があったんや。僕は京都の街並みを外資に荒らされたくないから丁重にお断りしたんやけど、相手が強引でな。無理矢理時間とらされたんや……。」

 食事をしながら、顔に残る疲労の原因を話し出す。


 「お断りできたの?」

 いや、と涼真は含みのある顔で首を横に振る。


 「彼は割と純粋に京都愛があって、地域に溶け込んだ宿を作りたいと言うことやったから、含みを持たせてお帰り頂いた。結構なお金持ちみたいやし。ちょっとこちらも色々調べさせてもろうてから対処を考えようかと思う。」


 ふーん、と美葉は唸った。北海道や京都の観光地を訪れる中国人観光客らしき人々を、美葉はあまり好ましく思っていない。レジで並んでいて横入りされ、ムッとしたことが何度もある。最近中国人を主にした外資系の企業が京都の土地を購入するケースが増えているという。


 京都は「観光地」というイメージが強いが、街には普通に生活を営む人々がいて、古くから繋がるコミュニティーがある。そういった生活臭と雅な風情が絶妙に重なり合っているからこそ、京都の街は魅力的なのだ。だが、空き家になった京町家を取り壊して無機質なビジネスホテルを建てたり、外資系企業が町ごと買い取って偽物の京都らしさを看板にビジネスを展開したりというケースが目立ち始めている。このままでは京都は崩壊すると警鐘を鳴らす評論家もいるのだ。


 日本人ならば、そこは一蹴して欲しいところだが、会社の利益も捨てがたい、と言うことなのだろう。涼真の立場になって物事を捉えると、自分の感情と会社の利益が拮抗して複雑な気分になる。


 「そのお客さん、ビジネスの話をしに来てんのに、アニメのキャラクターのTシャツ着てはってびっくりしたわ。あの、鬼を倒す奴な。」

 複雑な表情をしてしまったからなのか、涼真は話題を変えた。


 「え、マジで?お仕事の話なのに?」

 その内容が衝撃的で、思わず身を乗り出してしまう。


 「僕もびっくりした。お国柄なのか、お人柄なのかも見極めが必要やね。」

 妙に真面目な表情で言うから笑ってしまう。涼真も声を上げて笑った。


 ぽつぽつと話す仕事の愚痴や裏話に笑ったり頷いたりしているうち、食器はすっかり空になる。食後のお茶を一口飲んで、涼真はふっと息をついた。


 「なんか、ええなぁ。家に帰ってこうやって気兼ね無く話を出来る相手がおるって。」

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