喧嘩したときの決まり事-2
自然と言葉を紡ぎ出していた。錬は、じっとこちらを見つめて首を傾けた。
「正人さんに話を聞いて貰っていたら、今まで悩んでいたことがなんとなく解決できたの。私、自分を追い詰めていたんだな。自分で自分の事を全否定してたんだな。だから、職場の仲間の親切な気持ちも、錬の優しさも受け取ることが出来なくなってたんだな。……正人さんに、話して良かった。最近、フラッシュバックが起って仕事に支障が出るようになってたし、師長さんにも妊娠鬱になりそうだから早めに休暇を取るように勧められてたの。その事を錬にも相談できなかった。錬を信用してないってことじゃないよ?錬に心配掛けることで、また自分が駄目だと思い知るのが嫌だったの。」
錬の大きな手が、頭の上にぽんと乗った。
「そっか……。そんなにしんどかったの、気付かなくてごめんな……。」
大きな手の下で、頭を横に振った。
「錬は気付いてたよ。だから残業やめたり、家事手伝ったりしてくれたし、仕事辞めるように勧めてくれたんでしょう……。」
「うん。でも……。そんなに深刻だとは思わなかった。」
シュンとしょげかえる錬の声に、もう一度、頭を横に振る。
「言わなきゃ分からないよ。口がついてるんだから、伝えなきゃいけないんだよ、ちゃんと。」
「まぁ、そうだなぁ。お互いにね……。」
錬の手が、ポンポンと頭を優しく叩き、持ち主のもとへ帰って行く。優しい重さから解き放たれた顔を上げると、錬が鼻の上にくしゃりと皺を寄せた。
「なんか悔しいなぁ。正人さんに美味しいとこ全部持ってかれた。」
佳音は思わず笑った。
「それはしょうが無いよ。正人さんは天然の人たらしだからね。」
「そっか。」
錬も軽い笑い声を立てた。それから、人差し指を立てる。
「一つ、提案があるんだけど。」
「提案?」
真面目な顔の錬に佳音は首を傾げる。錬は神妙な面持ちで頷いた。
「昨日みたいにさ、喧嘩したまま寝るのは、嫌なんだ。だから、寝る前にはちゃんと仲直りしよう。そして、次の朝に喧嘩を持ち越さないようにしよう。」
錬の提案に、佳音はジクリと反省しながら頷く。
「で、喧嘩の途中で笑ったら、笑った方が負け。」
「……なによ、それ。」
思いがけない提案に、佳音は思わず笑ってしまう。錬は立てた人差し指を左右に振った。
「今、笑ったろ?笑いながら怒るのは無理だろ?だから、決着付かなかったら笑わせる。笑った方が負け。」
「喧嘩の途中で笑わせ合いが始まるの?」
おかしくて、本格的に笑い出してしまう。
「そういうこと。」
すました顔でそう言って、錬はチャーハンを口に入れた。佳音も、止まっていたスプーンを動かす。
それから、錬が来る前に考えていたことを口にした。
「あのね、錬が来る前、直美さんが来てたの。」
「陽汰の母ちゃん?」
「そう。それでね、自宅出産の話をばーって一方的に話して帰ったの。」
錬は笑い出した。
「そうそう、陽汰の母ちゃんってそんな感じ!」
直美の姿を思い出し、佳音も笑った。
「……あのね、自宅出産って、どう思う?」
上目使いに問いかけると、錬の顔が急に曇った。
「反対!」
思いがけないほど頑なな言い方に、佳音はムッとする。
「なんでよ。」
錬の顔もムッと険しくなる。
「だって、危ないじゃん。佳音と赤ちゃんに何かあったらどうすんだよ。自宅出産なんて、絶対駄目だからな。」
「まだ何も言ってないじゃない!」
「嫌、絶対言う。自宅出産したいって顔に書いてある!俺は反対!絶対反対!」
「頭ごなしに反対しないでよ!」
声を荒げる錬に、佳音も負けじと応じた。
そのまま、無言でにらみ合う。
錬がむっと息を吐いた。そしておもむろに、両手を自分の両頬に当てる。錬の頬が押しつぶされ、口が縦に潰れる。その手を斜めにずらすと、顔が左右非対称にへしゃげていった。
佳音は、思わず吹き出した。
錬はにやりとして、佳音を指さす。
「はい、佳音の負け!」
佳音はムッと口をへの字に曲げる。
「そんなの、納得できないっ!」
抗議の声を上げると、錬はフーッと長い息を吐いた。それから、申し訳なさそうな視線を佳音に向ける。
「分かったよ。でも、俺もそう簡単に良いって言えない。佳音と子供の命に関わることだ。ちょっと、考えてみる。佳音も、今直美さんに聞いたばかりなんだ。お互いちょっと冷静になって考えてみようよ。」
錬の言葉はとても静かで、じくじくと抗議の声を上げる腹の虫を宥めてくれた。冷静さを取り戻した頭で、佳音は頷いた。
「分かった。……でも、笑った方が一方的に負けになるルールは見直しが必要だと思います。」
「えー。良いルールだと思ったのになー。」
そう言って錬はチャーハンをパクリと食べた。
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