喧嘩したときの決まり事-1
昼過ぎに実家にやってきた錬を、佳音はやや気まずい気持ちで迎えた。冷蔵庫にあるものと、冷凍されたご飯を解凍してチャーハンを作り、二人で食べる。
「うまっ!」
一口目で、錬が顔をほころばせる。
「……そう?」
これが、あの一件以来始めて錬に発した言葉だ。錬の顔が、にやーっと緩んでいく。気恥ずかしさに佳音は目を伏せてチャーハンを口に入れた。ゆっくりと噛んで飲み込んでから口を開いた。
「ごめんなさい。」
「ごめんな。」
二人の声が合わさる。顔を上げたタイミングも一緒で、視線が合うと顔が熱くなった。錬の頬も、微かに赤い。
しばし、無言で見つめ合う。
「ええ、と。」
錬が軽い咳払いをした。
「佳音の将来を、勝手に決めつけてごめんなさい。……俺、すげぇ反省してる。佳音が真剣に看護師の仕事に向き合ってるの分かっていながら、それを辞めてパン屋の女将さんになれなんて。佳音の何を見てきたんだよって自分で自分が腹立たしいよ。」
ゴリゴリと坊主頭を掻いた。そして、ひょろりとした上半身を折り曲げる。
「本当に、ごめんなさい。」
佳音は突然現われた旋毛を見つめ、罪悪感を感じた。ふい、と視線を逸らす。自分も謝らなければと思う。しかし、謝らなければならないことも、伝えなくてはならないことも膨大な量があるような気がして口ごもってしまう。
錬の旋毛から逸らした視界の端に、
それは、今は仏壇の横に置かれている。
節子が妊娠したときに、身体が楽なようにと夫が買ってきたものらしい。当時は、この形状の椅子は珍しかっただろう。節子はこの椅子をとても大切にしていた。冬になるとこの椅子に座ってソーラン節を歌いながら編み物をする。小さくて丸い身体を更に丸めている姿はぬいぐるみのようだった。晩年は身体が弱り、揺れる椅子から転落する危険があった。そこで、正人がゆりかごのような形に改造してくれたのだ。
節子が息を引き取ったのも、この椅子だった。ゆりかごの中で眠る赤子のように、安らかな表情だった。
『見栄も意地も張るもんじゃないよ。』
節子の口癖を思い出した。
そうだね。
佳音は記憶の中の節子に頷く。
「謝るのは、私の方なの。」
佳音は旋毛に視線を戻して口を開いた。
「錬が早く帰ってきてくれるのも、手伝ってくれるのも私を気遣ってのことだって分かっているの。本当は、感謝しているの。でも、『自分が駄目だから錬に迷惑掛けてるんだ』って気持ちになってしまって、錬に八つ当たりしてしまっていたの。本当に、ごめんなさい。」
そう言って頭を下げると、錬ははは、と笑った。
「八つ当たりなんていくらだってしてくれて良いんだ。そんな佳音も可愛いからさ。……でも、辛そうな顔をしている佳音を見てるのは、俺も辛い。だからどっかで、看護師を辞めたら佳音は楽になれるんじゃ無いのかなって思ったんだよ。で、佳音を養う甲斐性が無い自分の事がちょっと情けなくなってさ。」
錬は一つ溜息をついた。
「でも、その考えも佳音のことを理解していない証拠だな。佳音は、自立した女になりたいって、昔から言ってたもんな。いくらしんどくたって、仕事から逃げようとしない佳音は、凄いんだなぁって思った。」
佳音は首を横に振る。
「凄くなんて、ないよ。」
そう言ってから、どんな言葉でこれまでの経緯を説明して良いのか逡巡する。もう一度節子のロッキングチェアを見つめ、ふと正人の顔を思い浮かべた。それだけで、ざわざわとしていたものが静まる気がした。
「……朝、正人さんのところに行って来たの。」
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