とある会員制のバーで-1

 重たいドアを開けると、カウンターを照らす明かりの下で涼真が手を挙げた。黒い大理石のカウンターの中で、黒子のように存在感の無い男がグラスを拭いている。男の背後には、見るからに高そうな酒がずらりと並んでいた。ジーパンにTシャツ姿でずかずかと中に入っていく保志に、テーブル席に座る年輩の男女があからさまな蔑視を投げる。


 だから嫌やねん。こういう会員制のお高うとまった飲み屋は。


 保志は口をへの字に曲げて涼真の横に座る。


 「保志さん、久しぶりやね。」

 「そやな。元気にしてたか?」

 愛想程度に言葉を返し、カウンターの中の男に涼真のグラスを指さして、同じものをと告げた。


 「お前から飲みに誘ってくんのは珍しいやん。そやけど今度から赤提灯にしてな。」

 「赤提灯には行くことあらへんなぁ。店知らんわ。」

 「そら、そやろな。」

 ブリオーニのスーツを着て、赤提灯もあるまい。保志は、琥珀色の水割りを口にした。


 「カルバトスか。えらい可愛いの飲んでるやん。」


 カルバトスは林檎を発酵させたブランデーだ。ほのかに林檎のフルーティーな風味が口の中に広がる。一時はアルマニャックを好んで飲んでいたはずだ。男らしい野性味のある酒は、背伸びをしているように見えたが。


 「そういう気分やったから。口に合わんかったら、違うの頼んでええよ。今日は、僕の奢り。」

 「当たり前や。こんな高い店で割り勘にされたらたまらんわ。」

 「よう言うわ。会社の規模やったら木寿屋よりゼンノーさんの方がよっぽど大きいやんか。」

 涼真の言葉は、保志をいらつかせた。飄々と薄笑いを浮かべる男を、保志は睨み付けた。


 「俺はただの支店長や。しがない地方都市の。」


 憮然と言い放つ保志に涼真は表情一つ変えずに続ける。


 「その割に、最近本社によう顔出してるやん。」

 「本社の決裁が必要な仕事をしてるからや。」

 「へぇ、どんな仕事?」


 保志は、ぎゅっと眉をしかめた。この男に伝えたら、気に触る返答しか返ってこない気がして口ごもる。


 「なぁ、教えてぇや。大嫌いな本社に足しげく通ってまでしたい仕事って、何なん?」

 甘えるような口調で、Tシャツの袖を引っ張る。時折見せる、子供の頃と変わらぬ仕草に戸惑うことがある。涼真は、それを知っていてわざと甘えてくるのだ。


 「……町を作る計画を立てとるんや。」

 「町?」

 涼真はきょとんと首をかしげた。初めて目の前でピンポンダッシュをして見せたときと同じ表情。この顔を見るのが楽しくて、悪さを仕込んでいたようなものだ。


 「住宅地の開発?」

 口を突いて出てきたのは至極現実的な言葉で、保志は思わず吹き出した。


 「そんなおもろないもんと違う。新風じんふぁの周りに、産業と連携した施設を作る。その産業に、医療と福祉を連携させる。教育や文化の発信拠点も。自宅出産も看取りも出来るように訪問医療を充実させたり、不自由さを抱えた者が一時避難できるシェルターを作ったり。まだまだ、形は曖昧やが現地の若者らと意見交換をしながら創っている最中や。金がいるから、本社に協力を依頼してる。人の住みやすい町は、金も生む。利益もそれなりにある。」


 「へー……。」


 含み笑いを浮かべた涼真は、グラスを手に取り小さく揺らした。からりと氷がグラスに触れる音がする。心を見透かしたと言わんばかりの顔に苛立ちが募る。


 「……美葉が、町の設計をするはずやった。戻ってきて貰わんと困る。」


 くっくと喉を鳴らして涼真が笑った。

 「美葉が、帰ると言うんやったらね。」

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