社長の家-2

 涼真はシンク下の扉を開け、出刃包丁を取り出した。慣れた手つきで鰈の腹に包丁を入れ、内臓を取り出す。


 「へぇ、社長魚捌くのお上手……。」

 思わず呟くと、涼真は手元を見つめたまま微笑んだ。

 「今は殆ど料理はせぇへんけど、大学生の時は自炊しとったから。北海道の魚の美味さに惚れ込んで、魚ばっかり食べとった。」

 そう言いつつ、鰈を三枚におろしていく。


 その手つきに違和感を覚えた。


 「社長、左利きでした?」

 問いかけに、涼真は視線だけを美葉に向けた。


 「そう。ほんまは左利き。全部矯正されたけど。でも、包丁なんて家で使うこと無かったから、これだけは左。大学時代の……自由だった時代の名残やね。」


 微笑んでいるが、声は寂しそうだった。


 字を書いたり、箸を持ったり、鋏を使ったり。そういった小さな仕草一つ一つを、本来使わない手にかえるよう強要されている少年の姿が目に浮んだ。涼真はそうやって本来の自分を消していき、『社長の息子』という存在に変わっていったのかも知れない。左手に持つ包丁は、その人生に束の間の自由があったことの、もの悲しい象徴のように思えた。


***


 鰈の唐揚げをテーブルの真ん中に起き、それぞれの席の前にガシラの煮物を置いた。味噌汁とほうれん草のおひたし、きんぴらゴボウを添える。涼真は、ほう、と息をついた。


 「ご飯にお味噌汁の手料理なんて、久しぶりに食べるなぁ。」


 いただきますと手を合わせ、一番に鰈に手を伸ばす。鰈の唐揚げは三枚に下ろした身を四等分にして片栗粉を付けて揚げた。骨は二度揚げしている。涼真が魚を捌いた後を美葉が引き継いで料理をしたのだ。


 「うん。釣り立ての鰈は格別やね。」

 満足げに頷く。

 美葉は縁側を取った。パリパリとした歯ごたえが小気味良い。


 「うん、おいしい。」

 そう言った美葉に、涼真は不思議そうな視線を向けた。

 「遠慮せんと、美味しいとこ食べ?」

 「美味しいとこ、食べてますって。鰈の唐揚げは縁側が一番美味しいじゃ無いですか。」

 「嫌、やっぱ身やろ。」

 「縁側ですよ。家でこのシチュエーションだったら、縁側争奪戦起こりますから。」

 「ほんまに!?」

 涼真は身体を仰け反らせて驚いた。それから、皿を美葉の方へ押し出す。


 「せやけど、釣り立ての鰈の身は、ほんまに美味しいで。先入観もたんと、食べてみ?」

 美葉はチラリと涼真の顔を見てから、白身を箸で摘まむ。ポン酢に付けてから口に運ぶと、ほくほくとした身の食感に驚いた。


 「本当だ!美味しい!」

 「そやろ?」

 涼真は、得意げに微笑んだ。


 「うーん。悔しいけど、社長の言う通り。先入観って駄目ですね。」


 そう言った美葉の唇に、涼真の人差し指が触れた。美葉はドキリと息を飲む。

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