光に惹かれる羽虫のように
「美葉ちゃん。」
自分を呼ぶ声に目を覚ますと涼真が顔をのぞき込んでいた。影になった顔の向こうから差す日差しが眩しくて目を細めた。涼真はふふっと笑って身体を起こした。
「そろそろ、一回引き上げてみよう。」
そう言われて、釣りに来ていたことを思い出す。
寝ていたんだ。
不思議だった。夜眠ろうとしてもなかなか寝付けない。疲れて昼寝をしようとしても、いつもいろんな考え事をしてしまい、眠りに落ちることは出来ない。安らかに睡魔に身を委ねることが出来るのは、正人の側だけだった。
佳音に、自律神経の乱れを指摘されていた。自分は交感神経優位で、副交感神経に切り替えてゆっくりすることが苦手なのだと。だから、意識してゆったりする時間を作らないと身体を壊すと言われていた。時々過呼吸が起こるのも、自律神経の乱れが原因らしい。
インフィニティチェアと、海と空。ポツポツと紡ぐ涼真との会話。それが、副交感神経有意な状態に導いてくれたようだ。
正人がいなくても、心身を休ませることが出来る。美葉の心に、それは大きな力となった。
美葉は手招きする涼真の元へ駈けていく。涼真のいる世界で、生きていくのも悪くないと思いながら。
涼真の手元を見ながら、自分も同じようにリールを巻いた。次第に、うねるような手応えが伝わってくる。水面にダイヤ型の魚影が見え、思わず歓声を上げる。
「鰈や!美葉ちゃん、頑張って巻いて!」
「はい!」
必死にリールを巻き、鰈をコンクリートの地面に釣り上げたときには小躍りするような気持ちだった。涼真は鰈の上に手の平を広げた。涼真の手よりも大きな鰈だ。
「これは、お見事。唐揚げに最適な大きさやね。」
「やったー!」
美葉は思わずガッツポーズで飛び跳ねる。涼真は眩しげに目を細めて美葉を見つめ、慣れた手つきで鰈の口から針を抜き取り、クーラーボックスの氷の中に入れた。
「兎に角、ボウズは免れたね。」
そう言って、自分のリールも手早く巻いた。
「お!手応えを感じる!」
にやりと笑って、手に力を込める。水面に魚影の姿が浮んだ。それが、みるみる丸く膨らんで行く。
「あちゃー。」
引き上げた魚を美葉の前にぶら下げて見せた。
ぷっくりと身体を丸く膨らませた、手の平サイズの
「高級魚!丸上げにする?」
美葉の言葉に、涼真は身体を折り曲げて笑った。
「体中がしびれるやろうね。」
アスファルトの上で河豚がバタバタと暴れている。
***
日が傾き駈けたところで、涼真がそろそろ帰ろうかと告げた。
「今日の釣果は、美葉ちゃんの鰈が一匹と、ガシラが二匹。なかなか上出来やね。」
「このお魚、どうします?」
「料理して、美葉ちゃん。」
美葉の問いかけに、さらりと涼真が言う。
「りょ、料理してって……、どこで?」
「僕の家。美葉ちゃんの家でもええけど。」
荷物を荷台に積み込みながら、こともなげに言い放つ。
美葉はどう答えていいのか分からずアスファルトに視線を落とした。その頭に、涼真の手がぽんと置かれた。
「冗談。美葉ちゃんが持って帰り。」
涼真の手が、すっと美葉の髪を撫でて去って行く。細められた涼真の瞳は、大切なものを見つめるように細められていた。その微笑みを見つめながら、美葉の胸にほっと小さな熱が灯った。
「……じゃあ、社長の家で。」
知らず知らずについて出た言葉に、涼真は微笑んだまま頷いた。
「じゃあ、そうしよう。」
涼真が助手席のドアを開ける。美葉は光に導かれる羽虫のように助手席に身体を滑り込ませた。
「美葉ちゃんの手料理、楽しみやな。」
シートベルトを装着しながら、涼真が言った。
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