釣りデート-3
「やっさん、釣りなんかするんだ。」
保志はいつも作業着で、仕事をしているか酒を飲んでいるか、どちらかの姿しか知らない。プライベートで何をしているのかは、謎だった。
「釣り好きなんやで、あの人は。船舶免許を持っていて、琵琶湖にボートも持ってたな。もう、処分したと思うけど。バス釣りが一番好きなんや。」
「バス釣り?」
釣りにはなじみが無いから、聞いたことはあるがどんな釣りなのか分からない。
「琵琶湖におるブラックバスを釣る、スポーツのような釣りやね。特定外来種やから、釣っても必ずリリースする。釣った魚の大きさを競うんや。」
「釣った魚を、食べないの?」
「法律で、持ち出したらあかん事になってるんや。」
「何が楽しいんだろう。魚を食べない釣りなんて。」
涼真は軽い笑い声を上げた。
「僕も同意見や。」
今の笑い声は心からのものに聞こえた。美葉は顔を涼真の方に向けた。涼真はずっとこちらを見ていたようで、目が合う。照れくさくて、美葉はまた上を向いた。
今日の涼真は、『社長』ではない。上質のスーツを纏い、さりげなく香水を付け、自信満々な態度と決して崩さない微笑みで煙に巻く経営者ではない。
素の九条涼真。
その姿にはどこか哀愁が漂う。
「……社長。」
「うん?」
美葉は、柔らかそうな雲が浮ぶ舞鶴の空を見つめた。何となく、胸に沸いた言葉を口にしてみる。
「社長の話、もっと聞かせてください。」
涼真の方から、ふっと息を吐く音が聞こえた。
「……僕は、跡取り息子として師匠に徹底的に行儀作法を叩き込まれたけど、その傍らで息子の保志さんは悪いことばかり教えてきたなぁ。木登りから始まって、ピンポンダッシュで捕まらない方法とか。喧嘩を売られた時にどうしたらええのか、とか。
『道を歩いとったら必ず誰かがいちゃもんを付けてくる。そういう時ははじめのかましが大事なんや』って言うてたけど、普通にしてたらいちゃもん付けられること無いやん。その事に気付くまで、何時誰から喧嘩を売られるかヒヤヒヤしながら街を歩いとった。」
美葉は声を出して笑った。
「やっさんは、道歩いてたら必ず誰かにいちゃもん付けられるんだ!」
「そうらしいで。」
「それに社長、ピンポンダッシュもやったんだ!」
「やらんとあかんもんやと思ってたんや。親にバレて、めちゃめちゃ怒られたでぇ。」
品の良い少年が、知らない家のチャイムを鳴らし走って逃げる様を想像し、笑いが止まらなくなる。涼真もつられたように笑った。
「パチンコにも連れて行かれた。それも、高校生の時。台の選び方、スロットの目押しの仕方も。競馬もいったなぁ。ああ、北海道でおっぱぶに連れて行かれたこともあった。」
「おっぱぶ?」
「キャバクラみたいなもんで、店の女の子と飲むんやけどな、おっぱい触ってOKなとこ。」
「……うわ、最低。」
涼真はクスクスと笑った。
「若いときの話やで。……悪いことは皆、保志さんが伝授してくれた。」
「今でも使う技はあるんですか?」
「無い無い。パチンコも行かんし、競馬もせぇへんし。でも、教えて貰って良かったと思うな。そうや無かったら、僕の世界は狭かったやろう。保志さんがおらんかったら、北海道に渡ることも無かったしね。」
涼真の声に、哀愁が滲む。もう一度涼真の方に顔を向けると、涼真は空を見上げていた。表情はよく見えないが、どことなく寂しそうな気配がする。
「社長は、やっさんの事が好きなんですね。」
涼真は唇を持ち上げた。
「お兄ちゃんみたいなもんやね、あの人は。ずっと僕の味方でいてくれる人やと、思ってたんやけどね。」
その言葉自体に感情は無かった。涼真の顔は笑っているのに、泣いているようだと感じて思わず身体を起こす。
「……今は、違うの?」
過去形の言葉に違和感を覚え思わず聞いてしまったが、踏み込んでいいところでは、無いのかも知れない。
「大人になると、色々あるね。」
あらかじめ用意していたように、さらりとした答えが返ってくる。こういう所が、涼真の寂しさなのだと美葉は思った。
「あの人は、ずるいわ。僕と同じ立場やのに、堂々と好き勝手に生きてる。」
ため息交じりの言葉を吐いて、涼真は目を閉じた。
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