釣りデート-2

 「このインフィニティチェアが優れものやねん。」


 まるでお手本を見せるように、涼真は椅子に身体を預けた。美葉も、それに倣う。椅子の生地は薄いのに、身体をしっかりと受け止めてくれた。深めのリクライニングだが、腰の沈み具合や膝の角度が絶妙で、身体の力が抜けてくる。視線は自然と空と海を捉える。幾つもの島影が浮ぶ海は静かだった。


 「今日は、何故釣りなんですか?」


 お試しで付き合うことになって初めてのデートがまさか釣りとは。その選択自体意外だが、涼真と釣りというマッチングも意外だった。


 「のんびりするんにもってこいやん。自律神経整うでー。」

 顔だけこちらに向けて、ニコニコと笑う。


 自律神経が乱れ勝ちな自分の事を気遣って選んでくれたのかと思うと、嬉しいような、くすぐったいような、意外なような。

 これまで、人の休みを奪うように営業の仕事を入れていた強引さとは違いすぎて戸惑う。


 「ほんまは、ずっとこんな事に誘いたかってんけど、一社員をあからさまにデートに誘うわけにもいかんやん。」

 のんびりとした言葉に、美葉は思わずポカンと口を明け、ニコニコ笑い続ける顔を見つめた。


 「そんな事、気にしてたんだ。意外!」

 

 思わず返した言葉に涼真はぷっと吹き出した。そのまま身体を折り曲げて笑い始める。


 「美葉ちゃんの中で僕ってそんなに傍若無人なイメージなん!?」

 「……まぁ、割りと。」

 「否定して。損託して、そこは。」

 「遠慮して、割りとという評価ですけど。」

 今まで散々公私混同して実家に帰るのを妨害してきたくせに。


 それが無ければ樹々は経営難にならなかったし、もっと早く正人と付き合い始めていただろう。まぁ、結局今の状態には、なっていただろうけど。


 あの人は変わらずやって来ただろうし、正人はきっと、同じ選択をしただろう。


 急にどうしようもなく悲しくなり、顔を空に向けた。


 「今までは今まで。これからはこれから。」

 歌うように涼真が言った。


 波の音が静かに耳に響く。そこに、ポーっという汽笛の音が混ざった。


 「あの船、どこに行くか知ってる?」

 涼真は停泊している船を指さした。美葉は横目で船を見ながら、首を横に振った。


 「あれは、あかしあかなぁ。舞鶴と小樽を結ぶ新日本海フェリー。」


 「小樽?」

 美葉は少し身体を起こし、改めて巨大な客船を見つめた。


 「そう。二十三時間くらいで着くんかなぁ。……僕は、北海道に渡ったときも、引き上げてきたときもこのフェリーやったなぁ。」


 涼真は身体を横たえたまま、のんびりとした口調で言った。


 「二等寝台って言う席を取ってた。二段ベッドの上下どっちかが自分専用のスペースやねん。シングルベッドの半分くらいの狭ーいスペースやから、することは何もあらへん。電波が届かんから、携帯電話も使われへん。あんときは、スマホじゃなかったからなぁ。ダウンロードした映画を見るなんて事も出来へんかった。持ち込んだ文庫本をぱらぱら眺めて、でも内容は頭に入らへんかった。」


 「……どうして?」


 涼真は、ふふふと笑った。笑っておきながらその笑みには何の感情もこもっていないように感じる。


 「行きしは、これから始まる大学生活への期待で落ち着かず、帰りしは冒険の旅を終えて社長業という運命に戻っていく落胆の気持ちでそれどころやなかった。」


 意外な言葉に、美葉は涼真の顔を見た。仰向けになった涼真は、目を閉じていた。


 「社長業は、本当は不本意なんですか?」

 「そうやね。」

 涼真は静かに頷いた。

 「好きに生きたいやん、誰かって。」

 言葉と裏腹に、涼真は唇に笑みを浮かべていた。


 この人の本心がよく分からないのは、表情と気持ちが合致しないからだと気付く。見てはいけないものを見たような気がして、美葉は涼真から目をそらし、椅子に身体を預けた。青い空に、鴎が優雅に羽を広げている。


 「釣りを教えてくれたのは、保志さん。」

 呟くように、涼真が言った。

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