震える身体-3

 「あなた、このままじゃ妊娠鬱になってしまうわ。ホルモンバランスが崩れるから、妊娠時期は鬱になりやすいの。あなたは自分の事をネガティブに捉える傾向がある。妊娠したことで今まで出来ていたことが出来なくなるのは当たり前のことなのに、それを受け入れることが出来なくて、自分自身を否定してしまう。『常に自分の存在を否定する。』そんな小野寺さんにされていたことを、今自分自身にしているのではないかしら?」

  

 佳音は長い息を吐いた。胸に掴まれたような痛みが沸き起こり、握りこぶしを膝の上でぎゅっと握る。

 そうかも知れない。いつの間にか、思い通りに動けない自分を駄目だと否定していた。その度に、自分を否定する小野寺の声が頭の中に蘇ってくるのだ。


 「診断書があれば、傷病休暇を取ることが出来るのよ。あなたが今の状態で働き続けるのは、自分自身の健康も赤ちゃんの健康も損なう危険性がある。それに、ミスをしてしまう可能性も高い。管理者としても、あなたをこのまま働かせておくわけにわいかないわ。」

 「ご迷惑、おかけして……。」

 声が詰まり、言葉を最後まで伝えることが出来なかった。


 休業者が出れば、それだけ他のスタッフの負担が増える。だが、働き続けても迷惑になる。どの道自分はお荷物でしか無い。


 「迷惑を掛けることは、駄目なこと?」


 明るい声で、佐々木師長が言った。思いがけない言葉に驚いて顔を上げると、佐々木師長は笑顔で頷いている。


 「体調不良のスタッフを守るのは、同じ職場の仲間なら当然のこと。あなたが守る側の立場なら、文句一つ言わないはずよ。」


 確かにそうだが、自分はまだそれほど誰かのカバーに回ったことが無い。失敗をフォローされたことは今まで山のようにあった。最近やっと一人前になれ、これから恩返しをするはずだった。


 「あなたが無事に子供を産んで、職場に戻って子育てをしながら働くことが、他のスタッフの為になるのよ。」

 佐々木師長の言葉の意図が分からない。子供はきっと頻繁に体調を崩す。その度に急な休みを貰うことになり、今よりももっと迷惑を掛けるだろう。そうなったら、今の職場で働き続ける自信がない。


 「うちの職場は、残念ながら離職率が高いわ。特に、子育て世代がこの病棟にいない。皆産休と共に退職するか、育休が明けて戻ってきても働き続ける難しさに直面して離職してしまう。それはね、この病棟に妊婦や子育て世代を労る文化が育っていないからよ。だから、あなたに意地悪をする人がいても庇う人が現われないんだわ。


 それってね、女性比率の多い職場としては致命傷なの。あなたが体調を考慮して休暇を取る。無事子供を産んで職場に戻る。子供が熱を出したら急な休みを取る。当たり前のようにそうしてくれたら、次に子供を産むスタッフは同じ道を通っていける。


 逆に、あなたが無理をしたら、次に妊娠したスタッフも同じように無理をしなければならなくなる。」


 佐々木師長の言葉は納得できるものだった。佳音は小さく頷いた。だがまだ、休暇を取る心の準備は出来ない。


 佐々木師長は、佳音の手を取り、そこに自分の手を重ねた。


 「パイオニアは苦労するの。その重荷を背負わせることになるけど、私に協力して下さい。」


 そう言って頭を下げる。佳音は困惑したまま佐々木師長の前髪を見つめた。

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