震える身体-2

 違う、あれはミスじゃ無い。小野寺がでっち上げた事故だ。重大なミスを犯したと思い込ませて、服従させるきっかけを作ったのだ。

 そう言い聞かせるのだが、あの光景と、犯したミスへの衝撃はまだ現実のものとしてに佳音の心に残っている。自分が重大な失敗を犯し、人命を危機にさらしたという感覚は脳裏から消えていないのだ。


 集中しなければ。


 意識を目の前の業務に集中しようとするが、閃光のように小野寺の顔や殴打された衝撃が脳裏に蘇る。


 『手際が悪い。判断が遅い。ケアレスミスが多い。』


 小野寺の声が繰り返し聞こえる。思わず耳を塞いだ。だがそんなことをしても無意味だ。この声は耳の内側から聞こえてくるのだから。


 「栄田さん、どうしたの?」

 声を掛けられ、顔を上げる。佐々木師長の顔が歪んでいるのを見て、自分が涙を流していることに気付いた。途端に羞恥で顔が熱くなる。職場で泣くなんてあり得ない。


 「小林さん、薬係、続きをお願いします。座りたんでしょ?」

 佐々木師長がそう言うと、小林看護師は不満そうに顔を歪めた。佳音は佐々木師長に導かれ、休憩室に入った。


 「すいません。ちょっと嫌なことを思い出してしまって。仕事中なのに、ご迷惑をおかけしました。」

 佳音は絨毯に座り、頭を下げる。意図していないが、土下座のような格好になっていた。佐々木師長は佳音の両肩に手を置き、身体を起こした。


 「嫌な事って、例のことでしょう。」

 そう言われて、ぎくりと身体が震える。


 今自分の心と体に起ったことが、どういうものなのかは分かっていた。


 フラッシュバックだ。


 小野寺から受けた虐待の記憶は次第に薄れ、過去のものとなっていたはずだった。それなのに最近日増しにフラッシュバックの症状が強くなる。仕事に支障を来さないか不安に思っていたが、とうとう露呈してしまった。こんな不安定な人間など、看護師失格だ。


 「栄田さん、早めに産休に入ったらどうかしら。」


 佐々木師長は軽く息をついてから、静かな声で言った。その言葉に、目の前が暗くなる。役に立たないから去れということだろう。


 「あなたの為なのよ。」

 視線から逃れようと伏せていた顔をのぞき込まれる。その瞳は優しさをたたえいた。戦力外通告を下す冷酷な顔を想像していたのに、あまりにも意外で息を飲んだ。佐々木師長は視線を合わせ、大きく頷く。


 「あなたの為なの。」


 もう一度、その言葉を届けてくれた。


 「私のため、ですか?」

 言葉の意図が飲み込めずに、問いかける。佐々木師長はもう一度頷いた。





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