京都の人になる

 「美葉!」

 保安検査場に向かう途中で声を掛けられた。振り返ると、錬が立っていた。ひょろりとした背をかがめて、顔をのぞき込んでくる。


 「大丈夫か?」


 その小さな目に美葉は笑顔を向けた。


 「まぁ、何とか。わざわざ来てくれたの?」

 「ああ。佳音がどうしても行くって聞かないから。一人で行かすと、走りそうだし。俺も、心配だしな。」

 照れくさそうに錬は坊主頭をこすった。


 「美葉!」


 今度は背後から声がする。振り返ると保安検査場の前のベンチに佳音が座っていた。立ち上がろうとするのを手で制し、美葉が駆け寄った。堪えていた涙腺が決壊しそうで、目の奥に力を入れる。


 駆け寄った美葉を佳音はぎゅっと抱きしめた。


 「大丈夫?美葉。」


 錬と同じ事を聞く。美葉は佳音の肩に額を付けるように頷いた。


 「何とか。」


 錬に返した言葉と同じ言葉を返す。多くの人が行き交う空港で泣き出さないように、心に冷静な場所を作ろうとした。


 「……どうして?正人さんに振られたって、どういう事なの?」

 「わかんないの……。」


 正人の背中を思い出し、心の中で必死に作り上げた冷静な場所はあっという間に吹き飛んで涙が溢れた。


 「僕の未来に、美葉さんはいません。……そう、言われた。」

 溜息交じりに何とか言葉を外に出す。佳音の腕に力がこもる。


 「理由、は?」


 佳音の言葉に、首を横に振るしか無い。正人の背中はあまりにも冷たく自分を拒絶した。その理由を聞くことは出来なかった。


 「理由は、聞いてないの?」

 「……聞けなかった……。拒絶されて……。」

 立ち去るしか、無かった。


 涙が溢れる。


 「理由を知りたい……。でも、もう無理、みたい……。」


 対話したかった。お互いに思っていることを話し合いたかった。正人にとって自分が一番大切な存在で、元妻であれ子供であれ、自分を超える存在ではないと信じていた。それさえ確認できれば、正人のために何でも出来ると思っていた。


 でも、正人は対話どころか自分が目の前にいることを拒絶したのだ。

 その理由すら、教えてくれようとしなかった。


 「佳音のお腹に入りたい。……もう、嫌だ……。」


 佳音の背にしがみつく。涙が、堰を切ったように溢れて止まらない。佳音の手が後頭部に置かれて、優しく上下に動く。


 「入れてあげたいよ……。全身で守ってあげたい……。」


 佳音の身体はいつも柔らかくて、温かくて、心に安らぎを与えてくれる。佳音にもそう簡単に逢えなくなるのだと思うと、張り裂けるほど寂しい。


 大阪行きの搭乗を急かすアナウンスが聞こえた。

 美葉は息を吐き、佳音から自分の身体を離す。


 俯いたまま、涙を拭く。

 肩で息を吐き、唇を結ぶ。

 そして、顔を上げた。


 「私は、京都の人になる。佳音、身体に気をつけて、元気な赤ちゃんを産んでね。」


 佳音の瞳が大きく揺らいだ。佳音に向かって大きく頷く。


 「錬、ちゃんと佳音を守ってよ。」


 錬の方を向くと、錬も顔を歪ませて頷いた。

 「……当たり前だろ。」


 涙を拭く錬にも、大きく頷いた。


 「それじゃあ、行くね。」


 美葉は顔を上げて保安検査場へ一歩踏み出した。

 

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