第六章 別れ
石狩川を渡る
車窓に流れる緑の麦畑をぼんやりと眺める。
半年ほど前、不安を胸に暗闇を見つめていた場所は、不自然なほど明るい日差しが降り注ぎ、麦の穂がその光を受けてキラキラと輝いていた。
あの日と逆方向に、電車が進んでいく。
時も同じ方向に進み、振り出しに戻ればいいのにと思う。涙が溢れそうになり、目の奥に力を込める。電車の中で泣いたりしたら恥ずかしいではないか。冷静にそう思う自分がおかしくて唇の端を持ち上げた。
電車は石狩川を渡り、札幌の一番端の駅に着いた。扉が開くと、ぞろぞろと乗客が入ってくる。
美葉は小さなキャリーケースを自分の足に寄せた。
スマートフォンを取り出す。
正人に一つだけ、伝えたいことがあった。
『樹々を続けて欲しい』
そのメッセージを送信した後、正人の連絡先を消去した。
湿った息を吐き出す。
――彼は、あの場所でなければ彼らしく生きていけない。
実家に帰りにくくなるな。そう思うとまた溜息が出るが、正人と作り上げたあの場所が再び荒れ果て、失われてしまうのだけは受け入れられなかった。樹々が失われると言うことは、正人が家具職人として生きていく場所を失うと言うことだ。そんなことを、望んではいない。
正人は樹々で、正人を愛する人に囲まれて人を幸せにする家具を作り続けて欲しい。
自分は、どこでも生きていける。
――京都の人になる。
湿り気のある空気と肌を焼く日差し。骨を冷やすような底冷え。外国人観光客が騒々しく行き交う石堀小路。建物に切り取られた空。
今まで仮の住処だと決めていた場所に根を下ろす。スペースデザイナーとして、木寿屋に骨を埋める。
何度も何度も胸の中で繰り返す決意は、崩れ落ちそうになる存在を何とか支えていた。
住宅街に日の光が傾いていく。
美葉は鼻を啜り、再び黄緑色のアプリを開いた。
『正人さんに振られたさ』
そう、メッセージを送り、ネコのキャラクターが泣いているスタンプを送った。
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