あなたのもとへ帰りたい-2

 美葉は、先頭に立って樹々の中に入った。正人がドアを閉めたのを確認してから、深く息を吸い込んだ。そして、ゆっくりと正人の方へ身体を向ける。


 「正人さん、ごめんなさい。」


 美葉は、正人へ深く頭を下げた。驚きに吐き出された息が髪にかかる。その懐かしいぬくもりに泣きそうになる。


 帰りたい。


 強く願った。


 この人の元に帰りたい。


 「一方的に怒ってごめんなさい。さようならなんて、本心じゃないの。私は、何があっても正人さんといたいの。元奥さんの事を助けたければ協力するし、養育費を払うのならそれをまかなえるように一緒に働く。私は、どんな形でも、正人さんと一緒に生きていきたいの。」

 顔を上げると、色を失ったように青ざめた正人が自分を見つめていた。瞳が動揺したように見開かれ、大きく揺れている。


そんなに、驚くとは思わなかった。無条件に抱きしめてくれると思っていた。想定外の反応に鼓動が速くなる。苦しさに思わず顔を歪め、両手で胸を押さえた。 


 正人は、美葉からすっと一歩後退った。

 そして、深く項垂れる。


 正人の両手が、ぎゅっと固く握られた。何かを決意したときに、よく正人がする仕草だ。

 その決意を、正人は口にした。


 「僕の未来に、美葉さんはいません。」


 心が、ぐしゃりと音を立てて潰れたような気がした。


 美葉は言葉を失い、ただ正人の俯く顔を見つめた。それさえ拒絶するように、正人はくるりと背を向けた。


 「……美葉さんの幸せを、誰よりも願っています。さようなら。」


 掠れるような声が、残酷に耳に届く。美葉は嫌がるように首を横に振る。


 「私の幸せは、正人さんと一緒にいる事よ……。」


 押し出した言葉は力を持たず、その背中に届く前に床に落ちてしまった。言葉の代わりに伸ばした手が、震えている。


 すっと幕を引くように、正人の背中が壁を作った。対話が必要だと思っていたのは、自分だけなのか?


正人は自分を拒絶している。


一方的に突きつけられた拒絶という名の壁は冷たく、喉元が凍り付いてしまう。


 ヒリヒリと痛む喉を無理矢理こじ開け、悲鳴のような声を上げる。


 「……正人さん。こっちを、向いて。」


 正人の背中は、ピクリとも動かない。


 「正人さん……。お願いだから、話をして……。」


 カーキ色の背中は、何も聞こえないかのように微動だにしない。自分の身体が急に透明になってしまったように感じた。ここに存在することすら、拒絶されている。正人は自分が立ち去るのをただ待っているのだ。


 嘘だ。こんなの、嘘だ。


 今起っている全てを否定するために首を振る。何かの間違いであって欲しい。そう願うのに、足が、動く。


 この場から立ち去れば、もう二度と正人に会えなくなる。二人の関係が終わってしまう。しかし、退散するより他の選択肢は与えられていない。震える足は、何か違う力で動かされるように、後方へ身体を移動させる。


樹々のドアが背中に当たり、ドアチャイムがチリンと鳴った。


 終わりを告げる合図のように。

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