彼女の真意-2

 朱音は「え?」という表情をしてから上目遣いで天井を見た。少し考えてから視線を美葉に戻し、小さく頷く。


 「そう言えば、仕事をして急がしくしてた時はせっかちな方やったと思います。」


 美葉は明るく声を立てて笑った。


 「そうなんですねー。朱音さん、お仕事何をされてたんですか?」

 「パティシエです。」


 朱音の表情に小さな力が生まれたように感じた。「パティシエ」という仕事に強い誇りを持っていたのだろう。その誇りを尊重するように大きく頷く。


 「パティシエ、ですか。憧れますね!あ、でも修行とか大変そう。」


 朱音の口元が、柔らかく綻ぶ。


 「フランスで五年働きました。チョコレートの技術に魅せられてショコラティエの称号を取るのにその時は必死でしたね。ほんまに、寝る間も惜しんで勉強していました。」

 「五年ですか!凄い!……でも確か、フランスのワーキングビザって、一年が期限ではなかったですか?」


 朱音の瞳に得意げな表情が浮んだ。


 「確かにワーキングホリデービザは、一年が期限です。でももっと掘り下げて学びとうて、必死で働きました。雇用主に認められたら、就労ビザを取得できます。それがあれば、ずっとフランスで働き続けることが出来るんです。」

 「へぇー。」


 思わず感嘆の声を上げ、憧れの眼差しを朱音に向ける。マレーシアに数日単位でホームステイをしたことはあったが、言葉や文化に馴染むのはなかなか大変だった。朱音は相当な努力をしたはずだ。腕や情熱だけでは現地の雇用主に認められはしないだろう。ここで働き続けて欲しいと思わせるだけのコミュニケーション能力も必要だ。


 「色々、ご苦労もあったでしょう?言葉の問題とか、文化の違いとか。」

 朱音は大きく頷いた。


 「ええ。フランス語は発音が難しいから。……夫は、岩手県出身やから発音は上手やったわ。」


 懐かしそうに目を細め、クスクスと笑った。


 美葉は掴んだヒントを逃すまいと身を乗り出す。


 「旦那さんとは、フランスでお知り合いになったんですね。」

 「ええ。」


 朱音は笑顔を崩さずに頷いた。


 「同じ店で働いていました。その店には日本人が三人働いとって、お互い支えおうて頑張っていました。夫と付き合うことになったのも、自然な成り行きというか。手近なところで手を打ったというか。もう一人は私たちよりも三年早くからその店で働いていて、京都の人でした。彼が京都に店を開くから手伝って欲しいと言うので、フランスから帰国して京都に住むことになったんです。」


 夫婦の歴史が紐解かれていく。美葉はその流れを手放すまいと頭を巡らせる。


 「じゃあ、一緒のお店で働いていたんですね。シェフとパティシエとして。」


 朱音は頷いた。


 「私はずっと夫の店で働いていました。先輩の店から独立して自分の店を持つようになってからも。」


 慎重に、言葉を選ばなければと感じた。だが、会話の間も大事だ。美葉は頭をフル回転させる。


 「今も、お店をお手伝いされているのですか?」


 朱音は、そっと目を伏せた。そして、小さく首を横に振る。美葉は祈るような気持ちで次の言葉を待った。ここから先の会話には沢山の地雷が転がっていて、踏んでしまったらやっと開きかけた朱音の心がまた閉じてしまうような気がした。

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