鈴と草払い機-1
健太が土手の草を刈っていると、用水路の側に蹲っている猛を見付けた。丸い背中が何かに熱中している事を物語っている。1メートルほどの斜面を下り、そっと後ろに廻って覗いてみると、猛は泥の塊を両手でこねていた。一生懸命丸い形を作ろうとしているようだが、泥はすぐにボロボロと崩れてしまう。泥に水分を足そうと用水路の水を手酌でくみ取って泥に足した。その行為が危険で、思わず顔をしかめる。
「何してんだ?猛。」
声を掛けると、猛は慌てたように上半身を起こした。その身体がバランスを崩し後方に転がりそうになる。健太は慌てて片手を伸ばして抱え込んだ。用水路には少ないながらも水が流れている。雪解け水で増水した流れは速く、小さな身体が流されてしまう可能性がある。春先は子供の水難事故が多いから、親も教師も水辺には近付かないよう口酸っぱく伝えている。
「猛、水の近くに行っちゃ駄目だぜ。増水してて危ないからな。」
「はい。」
田畑のない都会ではピンとこないことなのだろう。アキが猛に注意を促さなかったのは致し方がないことだ。親でもそれ以外でも、大人の忠告に猛はいつも素直に返事をする。現に今も素直に頷いた。その後で両手の中にある泥の塊がすっかり崩れてしまったのを見てがっくりと肩を落とした。今度は水分が多くなりすぎて、グズグズと崩れてしまったようだ。
「何作ってんだ?」
再度問いかけると、猛は澄んだ瞳をまっすぐに健太に向けた。
「スズを作っています。」
「鈴?」
鸚鵡返しの言葉に猛はこくりと頷いた。
「お母さんが大切にしていたの。でも、荷物と一緒になくなっちゃたから。」
「お母さんが大切にしていた鈴を作ろうとしたのかい?」
猛はまたこくりと頷いた。
高価なものがないからとアキは荷物を取り返そうとはしなかった。きっと他者の手を患わせる事に気が引けたのだろう。しかし、大切なものが値が張る物だとは限らない。
何か思い入れのある鈴を失い、アキは意気消沈したのかも知れない。そんな姿を見て猛は、なんとか自分の手でその鈴を作り、母親を喜ばせようとしているのだろう。健太はじんと胸が熱くなった。
「どんな鈴だい?」
問いかけると、猛は首を大きく傾けて考え込んだ。
「これくらいの大きさで、かわいいの。」
小さな両手を合わせて、拳大くらいの丸い形を作る。結構大きな鈴だな、と思った。
「分かった。俺、どっか店で見付けたら買ってやる。安心しな。」
「はい!」
猛は満面の笑みを見せ、泥だらけの手をズボンで拭いた。あーあ、と心の中で呟く。洗濯が大変だろうな、大人しいとは言え男の子は大変だ。
健太は猛の身体を両手で抱え、ひょいと持ち上げて土手の上に降ろした。
「だから、土手には近付くんじゃないぞ。」
草払い機を猛の横に降ろし、自分も土手の上に上がる。
猛の名を呼ぶアキの声が聞こえた。猛もお母さん、と嬉しそうに手を振る。アキは猛に駆け寄り、汚れたズボンを見てふふっと笑った。
「洋服で手を拭いたら駄目って言ったじゃん。」
猛は派手に汚れたズボンを見て、驚いたように目を見張った。申し訳なさそうに首を竦めて母を見上げる。
「男の子だからな、ちょっとくらい暴れん坊の方がいいんだ。」
健太はそう言って猛の頭を撫でてから、草払い機を肩に掛けた。
「あの、それ……。」
アキが遠慮がちに草払い機を指さした。
「草払い機?」
健太の問いかけに、アキは猛とそっくりに頷いた。
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