第五章 対話を求めて

田中さんのご指名

 「谷口、この案件、見奈美と一緒に担当してくれ。」

 片倉が銀縁眼鏡を人差し指で押し上げながら言った。


 「え、いいんですか?」


 思わず確認してしまう。色恋沙汰を職場に持ち込んでだの信用できないから雑用しかさせないなど顔を見るたびにブツブツ文句を付けて来るくせに。


 「不本意やが、先方がお前をご指名や。」

 そう言うと、パソコンがメールの着信を告げた。どうやら片倉が今転送したものらしい。それを見て、うわ、と声を上げてしまう。



 ――ゼンノーの田中です。

 以下の案件を、御社谷口美葉様に担当していただきますようお願い申し上げます。



 ゼンノーの田中。

 関西訛の男の、皺だらけの笑顔を思い出し一瞬寒気を感じた。


 「やっさん、今度は何を企んでる?」


 呟いて、添付ファイルを開いた。

 添付ファイルは企画書と見取り図だった。


 近藤達義邸リフォーム案件。二階建て4LDKの自宅のリフォーム。見取り図を見る限り、かなり豪華な邸宅である。


 次の一文で、美葉の指が止まった。


 ――使用するキッチンは、手作り家具工房樹々を指定。


 「……やっさん。」

 視界が緩みそうになり、ぐっと目を閉じて堪えた。


 保志は、正人との仲を取り持とうと一肌脱いでくれたのだ。もう一度、きちんと向き合う機会を作ってくれた。正人が家具を担当し、自分がリフォームのデザインをする。それは、正人と自分の目標でもあった。


 「今回、俺は一切文句をつけんからな。好きなようにやれ。」

 ぼそりと片倉が言う。


 「はぁ。」


 美葉は首をかしげた。美葉の教育係だった片倉は、独り立ちしてからも美葉の仕事にいちいちダメ出しをしてくる嫌味な先輩だ。しかもそのダメ出しは長くてくどい。


 耳を疑ったまま視線を向けていると、片倉は手元から顔を上げずに続けた。


 「谷口の仕事の仕方は、理想中の理想や。見奈美はその理想の仕事を一度しっかり体験したらええ。引き算は、引く対象が無いと成り立たん。理想型からいかに上手く引き算をして質の良い仕事をしつつ量をこなすかは、次の課題や。」

 「はい!」

 見奈美は直立不動で返事をし敬礼までした。美葉は口元がにやけてくるのを止められない。


 「片倉さん、それって、私の仕事認めてるって事ですよね。」

 「違う。」

 ぼそりと片倉は即答した。


 「引き算できへんアホやと言ったんや、ボケ。」


 「アホとボケを同時に言いましたね、今。」

 美葉はむっと口をへの字に曲げた。


 「だからどうした。」

 「アホとボケは関西人同士なら通じますけどね、繊細な東北北海道地方の人間に使わないでくださいね。」

 「誰が繊細や、お前の心臓毛がぼうぼう生えとるやろ。」

 「生えてません!見たんっすか!」

 「見んでもわかるわ、アホ。」

 「またアホって言った!」


 見奈美と一恵、佐緒里がたまらず笑い出した。


 「やっぱり、うちの部署はこれが無いとあかんわ。」

 佐緒里が笑い涙を拭いながら言った。チラリと片倉を見ると、若干耳たぶが赤くなっている。


 わざと、喧嘩をふっかけてきたのだと悟る。

 片倉の不器用な優しさにじんと胸が熱くなる。

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