初出勤-1

 早朝、健太は悠人の有機農園にアキを連れていった。


 アキは真新しい作業着を身につけている。薄オレンジのつなぎに水玉模様の農園帽。軍手の上にアームカバーを被せ、足元はモスグリーンの長靴という完全防備だ。それが全く様になっていなくて、まるでどこかのアイドルが農家のおばさんのコスプレをしているようだ。


 野々村農園は悠人が有限会社として経営している。森山家の農地と野々村家の農地半分を併せたそこそこ広い土地で、米と麦と野菜を作っている。働いているのは主に悠人と波子だ。悠人は陽汰の兄で、波子は佳音の母である。野々村家と佳音の実家森山家は隣同士で、代々交流が深い。


 波子は去年、浮気が原因で別居していた夫と離婚し、慰謝料として家と農地を譲り受けた。今は医学部に通う息子と二人で暮らしている。波子一人では田畑をまかなうことは出来ないので、数年前から悠人に農地を貸し出し、その賃料と出面として働く収入で生活している。


 有機農業は手間が掛かるので、健太は自分の家の仕事と掛け持ちで二人を手伝っている。本当は、自分の農地でも有機農業を始めたいのだが、伸也がオーガニック反対派なので手を出せないでいる。


 納屋に行くと、ひときわ大きな関西弁が聞こえた。


 「新風じんふぁのメニューにアスパラの料理を入れたいんや。ハネもんで構わへんから安うしてぇや。」


 リフォーム業の傍らで経営している、シュラスコ&ビュッフェのレストランで使う野菜の仕入れについて、相談に来たらしい。悠人は白いタオルを頭に巻いて、ぱっちりとした目を細めて爽やかな笑顔で頷いている。その横で、波子もふっくらとした頬を緩ませて話を聞いていた。


 悠人が健太に気付き、軽く手を上げた。


 「悠兄、この子がアキ。今日からお世話になります。」

 健太に紹介されたアキは、身体を折り曲げるようにして頭を下げた。


 「木全アキです。」

 自分の名前を言う声が震えている。ガハハ、と下品な笑い声がアキの声に被さった。

 「この子が正人の元嫁か。あいつも隅に置けんな。ええ女やないか。」

 アキは怯える目で保志を見て、さっと地面に目をそらした。


 「大丈夫。人は食わないから、この人。下品だけど根は良いおっさん。やっさんって呼んでやって。」

 「健太!なんやお前人を鬼かバケもんみたいに紹介しよってからに!」

 そういって、またガハハと笑う。絡むと長くなりそうなので、健太は愛想笑いを保志に向けてから、アキに悠人と波子を紹介した。


 「よろしく。アキって呼び捨てにするよ、いいかい?」

 悠人はアキに歩み寄り、身体をかがめるようにして手を差し出した。アキは、その手をおずおずと握り返した。


 「小二の男の子がいるんだってね。うちには桃香って小五の女の子がいるんだ。同じスクールバスに乗ることになるから、よろしくね。」


 猛は今日から、そのスクールバスに乗って小学校に通い始めた。校舎に七色の虹が描かれた、町中の小学校だ。


 「よろしく、お願いします……。」

 アキの顔にはまだ警戒心が残っている。叱られるのを怯えるような上目遣いを悠人に送る。


 「……しかし。」


 手をほどいた悠人は、少し困ったように眉をハの字にした。


 「珍しい名前って言うのも、困ったもんだね。名字を名乗れば、正人と関係があるってバレるもんね。勝手な推測が、猛の耳に入りゃなきゃいいけど。この際、旧姓に戻した方が二人とも暮らしやすいんじゃない?」


 悠人の言葉を聞いたアキの顔が、さっと蒼白になる。怯えたような表情で、小さく首を横に振った。


 「……それは……。」

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