ここへ来た理由-4

 「詰んじゃったんです。もう、お仕舞いなんです。私一人ならどうなっても良かったけど、猛のことだけは何とか守りたかった。さっきの人が公的機関に頼れって行ったけど、知識がないからそんなこと思いつきませんでした。どうしていいのか分からなかったんです、本当に……。」


 小さく震える声でそう言って、息子の肩を抱き寄せた。頼りなげなその様子に、流石に胸が痛む。


「詰んじゃったってさ、何があったのさ。」

 錬が問いかけた。錬も同情を禁じ得ないようで、声音が柔らかくなっている。


 「職場が倒産して、職を失いました。中学もまともに出ていない上に身元保証人の無い子持ちの女なんて、誰も雇ってくれませんでした。働く場所を探せないまま、家賃を滞納してしまって住むところを追い出されました。お金も使い果たしてしまって……。昨日は、公園で眠りました。このままじゃ、猛と一緒に野垂れ死んでしまうと思って、正人に猛を助けて貰おうとしたんです。」


 アキは身体を起こし、猛の手を取った。それから、身体を折り曲げるようにして頭を下げた。


 「それが、間違いでした。私の事は、忘れて下さい。私が今日ここに来たことは無かったことにして下さい。」

 そう言って頭を上げると、くるりと踵を返して出口の方へ歩を進める。


 「いや、待てよ。」


 健太は思わず猛に繋がれていない方の手首を握った。その細さに、愕然とする。


 今度は、子供と一緒に河に飛び込むのでは無いだろうか。


 頭をよぎったその予想は余りにも現実味を帯びていて背筋が寒くなる。細い手首を掴む自分の手が、二人の命をつなぎ止めるたった一つのもののように思えた。


 改めて、アキという女を見る。細くて小さな身体に、青ざめた顔。細い眉をしかめて、床を見つめている。


 中学もまともに出ていない、身元保証人の無い女。家も金もない上に、まだ庇護が必要な子供を抱えている。


 この女がこの先この子と生きていく術など、この世界のどこにあるというのだろう。


生活保護を受けるにしても、住所が必要だ。佳音が言うように生活困窮者の支援を公的機関に頼ることは本当に出来るのだろうか?その術を、この親子がどうやって見付けてどうやって手を伸ばしたら良いのだ?今夜の寝床も、食料も無いというのに。


 健太は、ぎゅっと目を閉じて決意を固めた。


 「俺んちに離れがある。とりあえずそこに来な。この後どうするかは、明日考えるベ。」


 一度手を差し伸べたら、そう簡単に離す訳には行かない。例えこの女が、とてつもなく悪い人間だとしても。


 「健太……。」

 自分の名を呼ぶ正人を、健太はぎっと睨み付けた。


 「俺んちにいるからって、この女に近付くなよ。美葉のことを、一番に考えろ。いいな。」


 正人は唇を閉じ、身体を折り曲げるようにして頭を下げた。


 「やめろ!何のつもりだ!」

 思わず怒鳴りつける。他人行儀なこの行動は、二人が自分に属するものだと証明しているように見える。だが正人は頭を下げたまま微動だにしなかった。


 「馬鹿野郎!」

 健太はアキの手首を掴み、軽く引くとそのまま言葉を吐き捨てて樹々を後にした。


 出口で錬の方を振り返る。


 「後は錬に任せた。」


 「いー!?」

 片手を上げると、錬はまた素っ頓狂な声を上げた。

 

 

 

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